19 January 2009

「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話"ローマからナポリの果てに"」 

今日1月19日は、須賀さんの80回目のお誕生日。

なかなか纏まった時間がとれずHDDに入れっぱなしになっていた「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話"ローマからナポリの果てに"」(BS朝日)をやっと見ることができました。

第1話"トリエステの坂道"や、第2話"アッシジのほとりに"に比べると、総括的で、掘り下げが浅く、物足りなさを感じてしまったのは、私が、つい最近まで『考える人』の特集を読んでいたせいもあるのかなぁ・・・

須賀さんの作品の朗読と、それに重ねられた美しい映像は、ちょうど人の歩く速さに合わせたようなゆったりとしたテンポで進み、慌しい日常から、しばし離れることはできたけれど、「やっぱり、須賀さんの作品を読まずして、須賀さんの本当の魅力は解らないよな・・・」と、逆に、改めて強く感じさせられました。

一昨日、従姉妹が須賀さんと同じ病気で他界しました。
病気がみつかって、手術もしたのに、わずか7カ月で天に召されてしまいました・・・
儚い命・・・

丁寧に生きよう。
今この瞬間瞬間を大切にしよう。

関連エントリ「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅 第2話"アッシジのほとりに"」

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14 January 2009

考える人2009年冬号「特集 書かれなかった須賀敦子の本」

Kangaeru_hito昨年の秋に刊行された『芸術新潮10月号』に「特集 没後10年 須賀敦子が愛したもの」が組まれたのは、まだ記憶に新しいところなのだけど、現在、本屋さんの店頭に並んでいる季刊誌『考える人2009年冬号』も、なんとなんと、須賀さんの特集「書かれなかった須賀敦子の本」なのです♪

須賀さん自身が紡ぎ出す美しい文章が新たに生まれてくることは、もう、決して無いのよねと、同じ本を何度も繰り返しめくっている私は、須賀さんに関する新しい読み物が出たと知れば、たとえそれが須賀さん本人の文章でなかろうと、たとえ「むむ?これって出版社の思う壷よね!」と解っていようとも、とにかく読みたくて居ても立ってもいられなくなってしまうのです。

という訳で、もちろん今回もシッカリ入手しました♪

「書かれなかった須賀敦子の本」と来れば、それが、テオ・アンゲロプロス監督の映画《ユリシーズの瞳》に触発された晩年の須賀さんが、アルザスまで取材に出かけ構想を練っていたものの、病気のために創作ノートと草稿を残すのみで完成させられなかった長篇の物語『アルザスの曲がりくねった道』を指していることは、全集を読んでいる人なら、すぐ解ることなのだけど、おっちょこちょいで慌て者の私ときたら、その全集に収録されている未定稿とは別のものが近ごろ新発見でもされ、今回、発表されるのかも!?なあんて勝手に思い込んでいたのでした。

結局、雑誌に掲載されたのは既に全集に収録されている序章(未定稿)と創作ノートでした。
須賀さんのアルザス取材旅行に同行した新潮社の編集者 鈴木力さんの談話からは、三人称で書くか一人称で書くか?長篇ではなく短篇連作で書こうか?など色々と悩んでいた頃に書いた複数の草稿が存在していたことが伺え、そのうちの幾つかでも目にすることが出来たら嬉しかったなぁと、ちょっぴり残念でした。

でも、その鈴木力さんに宛てた手紙の写真から須賀さんの直筆文字を見る機会が得られ(芸術新潮に掲載されていたイタリア語の絵本にふられた日本語訳も丁寧で美しい筆跡でしたが、手紙の文字も親しみの持てる筆致でした。)、「エマウスの家」での須賀さんの活動や信仰のことについて書かれた湯川豊さんの記事や、須賀さんやご両親の素顔を語った妹・北村良子さんのロング・インタビューなど読み応えタップリの内容には大満足です。

また、巻末にはペッピーノの書いた"Atsuko"で始まる小さな詩が紹介されていて、須賀さんの眼差し、そして、それを見つめるペッピーノの眼差し、どちらも何てステキなんだろうって思いました♪

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27 September 2008

芸術新潮10月号「特集 没後10年 須賀敦子が愛したもの」 

Geijutsu_shincho10久しぶりに『芸術新潮』の最新号を購入しました。
前回買ったのは、確かエルンスト・バルラハの小特集が組まれた時だから、かれこれ2年半ぶりになるかな?

今月初め、うたたねねこさんのブログ「本を読みながら」で10月号の特集が「没後10年 須賀敦子が愛したもの」だと知り、発売日を指折り数えて待っていたのでした。

本屋さんの店頭では1ページたりとも中を見ずに超特急で家に持ち帰り、部屋に入って静かに開いてみると、須賀さんにゆかりあるイタリアの美しい写真や、須賀さんが著書の中で触れている美術作品の写真が満載されていました。

と、ここまでは予想通り。

更に嬉しかったのは、一昨年、大阪神戸を訪ねた時、余裕があったら歩いてみたいと思いながら叶わなかった阪急今津線沿線の小林聖心女学院近くの坂道が見られたこと。
また、かれこれ10年位前に船を乗り継いで渡ったヴェネツィア・トルチェッロ島で観た聖マリア・アッスンタ大聖堂ドームのモザイク画 聖母子像が掲載されていたのにも感激しました。

そして、先月、庭園美術館で観た 舟越桂さんの作品集に寄稿されたエッセイ(全集へは未収録)も初めて読むことができ、須賀さんと舟越さんとの接点も知ることができました。

他にも、これまで知りえなかった須賀さんの意外な一面に触れた文章や写真も寄せられているので、しばらく枕元に置いて、ゆっくり楽しもうと思います。

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25 August 2008

ベン・シャーン&アーサー・ビナード『ここが家だ』

Ben_shahn以前、ブリヂストン美術館「コレクションの新地平 − 20世紀美術の息吹」 で版画集《リルケ『マルテの手記』より一行の詩のために》を観て以来ずっと気になっていたベン・シャーンの展覧会が、8月8日まで丸の内ギャラリーで開かれていたので観てきました。

生誕110年を記念して開かれた展覧会は、初期のデッサンから油彩画、水彩画、版画、ポスターと、ベン・シャーンの幅広い創作活動の軌跡を見ることができ、とても充実したものでした。

そして、その会場で、絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』のことを知りました。

東京都立第五福竜丸展示館を訪ねたのは、もう随分と前のこと。
それも、わざわざ足を運んだわけではなく、同じ公園内にある夢の島熱帯植物館で開かれてた日本画家 田中一村にちなんだ企画展を観たついでに、何だろう?この建物?と、その斬新な外観の建物に興味を持って立ち寄ったのでした。

あの時、深い悲しみと強い憤り、核への恐怖を感じたはずだったのに・・・
ダメですね・・・
時間が経つにつれ、その時のショックは薄らいでしまいました。

こんな忘れっぽい私は、こういう本こそ、いつでも手の届く本棚に並べておこうと思いました。
不謹慎かもしれないけれど、ベン・シャーンの絵が、とても力強くステキだし、アーサー・ビナードさんの詩も素晴らしいから。

   ◇  ◇  ◇

ベン・シャーン(絵)アーサー・ビナード(構成・文)
『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』2006年、集英社

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21 March 2008

山形政昭(監修)『ヴォーリズ建築の100年』

Vories100以前、何気なく橋爪紳也(監修)『大大阪モダン建築』を見つけた本屋さんで、またもや、ラックの後ろのほうに隠れていたステキな本を発掘してしまいました♪
相性いいのかなぁ? ここの本屋さんと私。(^^)

その本は、山形政昭(監修)『ヴォーリズ建築の100年―恵みの居場所をつくる』(2008年、創元社)

今年は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが建築事務所を開いて100年目にあたるそうで、ヴォーリズに縁のある滋賀県の近代美術館ではウィリアム・メレル・ヴォーリズ展が3月30日(日)まで開催されています。
そのことを少し前に放送されたNHKの番組「新日曜美術館」(だったはず)で知った時、「見たいな、一度は滋賀にも行ってみたいし。あぁ、でも今は時間がないものな。無理だな~」と思ったのでした。

そこに現れたのが、この本。
縦約30センチはある大型本で図版満載のとても充実したもの。
それもそのはず、この展覧会の公式カタログとして作られたものだったのです。
なんてラッキーなんだろう、私。
東京に居ながらにして入手することができるなんて。(^^)

心斎橋の大丸さんをはじめ代表作の写真も盛り沢山で見応え読み応え抜群! 今はもう取り壊されて存在していない建物の写真も収録されているし、ずっと保管したい大切な一冊になりそうです。(^^)

追記:上記展覧会は、福岡の西南学院大学博物館、軽井沢町歴史民俗資料館、大阪芸術大学博物館、そして2009年になってからですが東京の松下電工汐留ミュージアムにも巡回するそうです。
やったぁ!(^^) 大分先だけど楽しみに待ってよう。

【関連エントリ】
汐留ミュージアム「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」

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16 November 2007

「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅 第2話"アッシジのほとりに"」 

11月18日(日)20:00~21:55、BS朝日で「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅」 第2話"アッシジのほとりに"が放送されるそうです。

昨年、放送された第1話"トリエステの坂道"は、須賀さんにゆかりのある場所や美しい街並みの映像がふんだんに使われ、ふんわりと静かな時間が流れてゆくような作りで、NHKなどでよくあるドキュメンタリー番組や海外からの中継番組とは全く違った趣があり、「へぇ~民放でもこういう番組をつくるんだぁ」と新鮮に感じた覚えがあります。

私が、ジョットのフレスコ壁画《聖フランチェスコ伝》を見たくてアッシジを訪ねたのは、イタリア中部を襲ったウンブリア・マルケ地震よりも前のことだから、もうかれこれ10年以上も前のことになるのだけれど、その壁画や聖フランチェスコ大聖堂の佇まいにも、すごく感動したのは勿論、丘の上に築かれた小さなアッシジの街の細い坂道を登ったり下ったりしながら「こんな場所に生まれ育ったら、同じ人間でも、随分と違った人生を歩むことになるのじゃないかなぁ・・・ 住んでみたいなぁ・・・」と思うほど惹きつけられる美しい街でした。
第2話では、そのアッシジの街が主な舞台になるのかな?

アッシジは、須賀さんが8回も訪れた特別な場所。
明後日、放映される番組の前に、ペッピーノへの書簡も含め、須賀さんがアッシジについて書いた文章のいくつかを、もう一度、読み返してみようと思う。

関連エントリ「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話"ローマからナポリの果てに"」 

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05 April 2007

サン・テグジュペリ『星の王子さま』

Le_petit_prince05昨日、ニュースを見ていて、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の挿絵原画が、山梨県内の美術館「えほんミュージアム清里」の所蔵品の中から発見されたことを知りました。

47点あるとされている原画のうち、現在、行方がわかっているのは、今回、見つかった「実業屋」を含め、世界中で、たった6点だけなのだそう。
4月25日から松屋銀座で開かれる「サン=テグジュペリの星の王子さま展」で、公開されるとか。あぁ~行っちゃいそうな予感。(^^;

Le_petit_prince04_1ところで、幼い時に出会い、大人になっても繰り返し読みつづける本というのが誰にでもあると思うけれど、サンテックスの『星の王子さま』は、私にとって、まさにそんな一冊。

子供の頃、最初に読んだのが、あの名訳の誉れ高い、内藤濯(あろう)さんのものでした。その後、原作のフランス語版に手を出したこともあったっけな。(^^;
そして、フランスの俳優ジェラール・フィリップの朗読CDまで持っていたりします。(^^; それはまるで音楽を聴いているような美しい朗読です。

Le_petit_prince01そういえば、須賀敦子さんの著書『遠い朝の本たち』の中に「星と地球のあいだで」というエッセイがあり、フランス語を学びはじめたばかりの須賀さんと『星の王子さま』との出会いが綴られています。

   ◇  ◇  ◇

最初は、なんだか子どもの本みたいなものを、と不満だったのが、読みすすむうちに、きらめく星と砂漠の時空にひろがる広大なサンテグジュペリの世界に私たちは迷いこみ、すこしずつ、深みにはまっていった。いや、迷っていたのは、クラスで私ひとりだったかもしれない。

Le_petit_prince03それまでに読んだどんな話よりも透明な空想にいろどられていながら、人間への深い思いによって地球にしっかりとつなぎとめられたサンテグジュペリの作品は、他にも読むべき古典がたくさんあるのをながいこと私に忘れさせるほど、夢と魅惑に満ちていた。
(須賀敦子著『遠い朝の本たち』より)

   ◇  ◇  ◇

確か、ジェラール・フィリップに、とても興味を持ってらしたはずの須賀さん、この朗読の存在をご存知だったのだろうか?
そして、もしご存知で、耳にされていたとしたら、どんな感想をもたれたのか知りたかったなぁ。

Le_petit_prince02さて、『星の王子さま』は、2005年に著作権が切れたのをきっかけに、現在、さまざまな新訳が入手できるようになりました。
私も、さっそく、池澤夏樹さん、野崎歓さんの新訳を読みました。

訳者それぞれサンテックスの原作への熱い思いがあり、その解釈や言葉の使い方も、おのおの工夫がこらされ、読み比べてみるまでもなく、サンテックスが『星の王子さま』に込めた思いを、訳者を通して様々な角度から読み取ることができ面白いです。

そして、この作品の最大の魅力は、どの訳であろうと、素直な気持ちが取り戻せ、自分を見つめ直せることかなぁ。(^^)

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16 January 2007

Luigi Ghirri "Atelier MORANDI "

Luigi_ghirriそういえば、須賀さんの全集の表紙に使われてる写真、本の巻末で、直ぐにそれがルイジ・ギリ Luigi Ghirri というイタリアの写真家の作品だということが判明、そして、ずばり『アトリエ・モランディ Atelier MORANDI』というタイトルの、ボローニャ近郊やモランディのアトリエを撮影した写真集が出版されていることも解りました。

当然のごとく、私のことですから(^^; その写真集を見てみたい気持ちがムクムク湧きあがったのだけど・・・
ネットで見つけた洋古書屋さんをのぞいて見ると、お値段6510円ですって~ 私には、ちょっと高い。(^^;

う~む、どうしよう、どうしようと悩んでいるうちに年があけてしまった。

でも、やっぱり気になる。
なぜだか、ここ数日、急に見たい気持ちが、またモコモコ湧いてきちゃった。(^^)

フランスのアマゾンでも扱ってないようだし・・・
もたもたしてると、本当に手に入らなくなってしまうかもしれない。
今、絵の制作中で時間がないのだけど、合い間を見つけて、お店リムアート、訪ねてみようかな。
本ばかりでなく、お店そのものや家具もステキな感じ。(^^)

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20 November 2006

文庫版『須賀敦子全集』

Atsuko_suga_kawade先日、本屋さんをブラブラしていて、偶然イイモノ見つけてしまいました。(^^)

文庫版『須賀敦子全集』(2006年10月、河出文庫)です!

2000年に河出書房新社から全集が出た時も、いいなぁ~欲しいなぁ~とは思ったものの、一冊5,000円以上する本を全9冊揃えるのは、私には財政的にちょっと厳しく、諦めたままでした。(^^;

Morandi_1939_1その全集の文庫版が、この秋から順次、河出文庫から出版されるようなのです。
手にとってページをめくると、紙面が小さいので余白はギチギチ、文字もぎっしりで、決してレイアウト的に美しい本とは言えないのでありますが、やっぱり、お手軽価格が嬉しいです♪

Morandi_1948でもね・・・
これを揃えると、今まで集めてきた須賀さんの単行本や文庫本とダブってしまうのですよね・・・
本棚に並べておくには、文庫版全集は合理的なんだけど、古い本を処分するのも、ちょっと寂しいし・・・
どうしたものかぁ・・・

Morandi_1948_49ところで、平積みになっていたこの本を見つけた瞬間、一番最初に私の目に飛び込んで来たのは、実は表紙の絵柄でした。
「あ、モランディだ!」
「あれ? 須賀さんの全集だぁ!」
ってな具合に・・・(^^;

Morandi_1949でも、よくよく見ると、
「モランディの絵じゃない! 写真だよこれ~?」

ジョルジョ・モランディ Giorgio Morandi (1890-1964)は、イタリアのボローニャで生まれ没した画家。
若い頃描いた風景画も残っているけれど、やっぱりモランディと言えば瓶やカップの静物画ですよね。(^^)

未来派との交流もあり、キュビスムっぽい静物を描いていた時期もあるけれど、私は1940年位から晩年にかけて描かれた、単調なようでいて絶妙なバランスを保っている構図と、柔らかな色調の静物画が大好きです。

それにしても、表紙のモチーフ、モランディの絵画と驚くほどそっくり!
もしかして、現在、ボローニャに再現されているというモランディのアトリエで撮影したものだったりして?

表紙の写真は、イタリアの写真家ルイジ・ギリの『アトリエ・モランディ』からのものだということが解りました。
Luigi Ghirri "Atelier MORANDI "
(16Jan2007追記)

アトリエにも、いつか行ってみたいな。
モランディの静物画のような、静寂な世界が感じられるのだろうか?

【画像】上から

《静物》 1939年
油彩、カンヴァス 41,5×47,3cm
モランディ美術館(ボローニャ、イタリア)

《静物》1948年
油彩、カンヴァス 35,9×50cm
モランディ美術館(ボローニャ、イタリア)

《静物》1948~49年
油彩、カンヴァス 26×35cm
Thyssen-Bornemisza Museum(マドリッド、スペイン)

《静物》1949年
油彩、カンヴァス 32.5×42.0cm
ニューサウス・ウェールズ・アート・ギャラリー(シドニー、オーストラリア)

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22 March 2006

須賀敦子「ヒヤシンスの記憶」

Hyacinthus今年もヒヤシンスが咲き始めました。

ヒヤシンスの甘く透きとおった香りが、私は好きです。
摘んできてコップに挿すと、ふわ~っと部屋中が春になります。

そして、その香りをかぐと思い出すのが、須賀敦子さんの『トリエステの坂道』に収録されているエッセイ「ヒヤシンスの記憶」の中のヴィルジリオ・ジョッティ(1885-1957)の詩 《ヒヤシンス》。

白と薄むらさきの二本の
ヒヤシンス、さっき
ぼくにくれながら、ちょっと
笑ってた、きみに似ている。
蒼い顔して、白い歯をみせ、
しっかりとぼくにさしだしながら。
いま、コップのなかで蒼ざめて咲く
花たち、色あせた壁を背に、
窓からはいって、すりへった石の上を
よこぎっていく日のひかりのとなりで。
すべてのなかで燦めいているのはあの
蒼ざめた薄むらさきだけ。夜あけが
残した、ひとつの炎。
よい匂いが、家にあふれる。
まるで、ぼくたちの愛のようで、
それ自身は、ほんとうになんでもなく、
ただ蒼いという、それだけだが。燦めく蒼さで、
燃える蒼さで、希望とおなじ、いい匂いで。
ふと、気づくと、胸いっぱいにひろがる、
その匂い。ぼくの家が、きみの家で、
きみとぼくとが、テーブルに
クロスをいっしょにひろげ、
ぼくたちが準備しているのを
ちっちゃな足で、背のびして
のぞく、だれかさんが、いて。
(須賀敦子訳)

私のイタリア語力では、その違いが全く解らないのだけれど、イタリアには、とても沢山の方言や訛りがあるそうで、トリエステ生まれのジョッティは、この詩をトリエステの言葉を使い、もの静かな口調で書いているのだそうです。

確かに、この詩からは愛の喜びや幸せが沢山あふれ出ているのだけれど、どことなく控えめで、ちょっとくぐもったような雰囲気や、まだそんなに強くはない春の柔らかな朝の光や、ペールトーンの部屋の色や匂いが感じられるのです。
そして、なぜだかホッと落ち着けるのは、きっと須賀さんがジョッティの言葉を見事に日本語に置き換えてくださっているからなのでしょうね。

ところで、前述のとおり、イタリアには数多くの方言があるそうですが、それらは、それぞれの都市の歴史と文化の伝統が洗練を重ねてきた過程で、それぞれの「国語」に近い感覚を持つようになって行ったのだそうです。
イタリアの都市って、街並みばかりでなく、言葉もちゃんと大切に守っているのですね。

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