26 November 2009

豊郷小学校旧校舎の「ウサギとカメ」

Toyosato012002年冬、寒々とした校庭を舞台に、町長と、その町長の指示により強行に解体されかかった校舎を守ろうと人間バリケードをつくり、立てこもった住民との間で繰り広げられた騒動は、テレビ等メディアを通じて広く報道されたので覚えてらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

Toyosato02その当時、私は「あらあら大変!困った町長さんだわね。それにしても住民の熱意はスゴイなぁ、そこまでして残したい校舎なのかぁ。」程度の呑気な反応しか出来ず、背後に映っている薄汚れた校舎から感じるものも特にありませんでした。そして、報道が下火になると同時に、すっかり騒動のことも忘れてしまったのでした。勿論、その旧校舎がヴォーリズさんの手がけた名建築の一つだとは知る由もないまま。

Toyosato03結局、この「校舎改築問題」は、私の知らぬまに町長が方針を転換し新校舎を建設しながら旧校舎を保存することで決着。今回こうして私が豊郷小学校旧校舎を訪ねることが出来たのも、長年、保存運動を続けてくださった住民の皆さんの熱意と尽力のおかげだったのです。

   ◇  ◇  ◇

1937年(昭和12年)、卒業生の古川鉄治郎さん(1878〜1940)からの全額寄付により、ヴォーリズさんの設計で豊郷小学校旧校舎(当時は豊郷尋常高等小学校)は建てられました。

教室や廊下には温水暖房が設備され、理科室にはコックス配電装置とガス装置、職員室には各建物に通じる電話交換室、そして水洗式のトイレと最新の設備を整えた鉄筋コンクリート造りの校舎は、当時「東洋一の小学校」と言われたのだそうです。

また、廊下に柱が出っ張って通行の邪魔にならないようにと柱の面まで壁にし外壁との間に空間をつくって耐寒耐暑構造にしたり、図書館を別棟にし書庫の安全を図るなど、細やかな配慮の行き届いた校舎でした。

Toyosato04更に、ヴォーリズさんの設計の素晴らしいところは、そういった機能面ばかりでなく、子供達へ向けられた、さり気ない優しさが、あちこちに感じられることです。

階段に長いツルツルの手摺りがあれば滑り降りたくなるのが子供というもの。そこで、ヴォーリズさんは子供たちの安全を守るために手摺りの所どころにイソップの寓話を元にした「ウサギとカメ」の彫刻を設置しました。

Toyosato05すやすや昼寝をするウサギ、その隙にひたすら手摺りを登るカメ、なんて可愛いのでしょう♪

しかし、この豊郷小学校旧校舎のシンボルとも言うべき、この「ウサギとカメ」、一時、校舎から姿を消していたことがありました。
太平洋戦争勃発による物資不足のため「ウサギとカメ」はもちろん、古川鉄治郎さんの胸像、ボイラー設備や暖房設備などが供出で徴収されてしまったのです。

Toyosato06そんな「ウサギとカメ」が蘇ったのは昭和39年、豊郷小学校の近くに東海道新幹線がひかれた後でした。
ある日のこと、校舎建設中に現場監督を務めていた竹中工務店の神谷新一さんが開通したばかりの新幹線の車中で、ふと豊郷小学校のことを思い出しました。そして27年ぶりに小学校を訪れたところ、階段の手摺りに光っているはずの「ウサギとカメ」がなくなっていたのです。
そこで神谷さんは、古い資料の中から設計図と型を探し出し、何と自費で復元してくださったのだそうです。

Toyosato072004年には隣接した敷地に立派な新校舎も完成し、小学校校舎としての役割を終えた建物は、現在、町立図書館などの入いる複合施設として再び活用されています。

豊郷町は決して交通の便が良いとは言えない所です。
けれど、未来を担う子供達や町を大切に思う多くの人々から愛され守られてきた美しい建物を拝見することができ、はるばる訪ねて本当に良かったと思いました。

   ◇  ◇  ◇

豊郷町立豊郷小学校旧校舎
(旧豊郷尋常高等小学校)
1937年(昭和12年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県犬上郡豊郷町石畑518

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10 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その3

Omihachiman11大正時代、池田町の約1千坪の敷地内にヴォーリズさんの設計による建物が並んで建てられました。

ヴォーリズさんの商業学校英語教師時代の教え子で、その後、キリスト教活動のパートナーになった吉田悦蔵さんの住宅、ウォーターハウス邸、ヴォーリズ邸(非現存)、二戸一住宅になっている近江ミッション・ダブルハウスの4棟です。

Omihachiman10現在も、そのうちの3棟と塀や門が残っていて「池田町洋風住宅街」と呼ばれています。

住宅を囲んでいるレンガ積みの塀も、とても良い雰囲気です。当時はレンガも手焼きだったので、くびれたり膨らんだりと焼き損じのレンガが出ると、ヴォーリズさんは塀などに再活用したのだそうです。
不揃いだけど、それが、かえって良い味になっていますね。

Omihachiman12ウォーターハウス記念館
(旧ウォーターハウス邸)
1913年(大正2年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市池田町5

旧近江ミッション・ダブルハウス
1921年(大正10年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市池田町5

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman13大阪朝日新聞社で活躍した忠田兵造さんが後半生の住まいとして郷里に建てた住宅です。

現在は、たねやグループが経営する和・洋菓子の総合店舗として再生され、ヴォーリズ建築内特別室として利用できるようです。
こんなステキなお部屋で、クラブハリエのバームクーヘン食べてみた〜い♪

クラブハリエ日牟禮館(旧忠田邸)
1936年(昭和11年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市宮内町243日牟禮ヴィレッジ

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09 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その2

Omihachiman05かつてはヴォーリズさんの住まいだったヴォーリズ記念館は、シンプルな箱型のどちらかと言えば地味な外観。
限られたスペースを無駄なく活用した造りからはヴォーリズさんの理念が感じられ、簡素ではあるけれど使い込まれた家具やアップライトのピアノなど、そこにあるもの全てが美しく調和した、穏やかな雰囲気の住まいでした。
本棚の中には沢山のヴォーリズさんの蔵書が今もそのまま残されていて、ふと振り返れば、椅子に腰掛け読書しているヴォーリズさんに今でも会えそうな、そんな空間でした。

ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸)
1931年(昭和6年)
滋賀県近江八幡市慈恩寺町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman06旧岩瀬医院&岩瀬邸は、個人所有の建物なので外観のみ拝見。
診療所の並びの邸宅もヴォーリズさんの設計だったのですが、外観が純和風だったので、そうとは気づかず撮影し忘れてしまいました。
そんな訳で写真は医院部分のみ。いかにも診療所らしい清潔な外観ですね。中も当時のまま残っているのかな?

村岡邸(旧岩瀬医院&岩瀬邸)
1933年(昭和8年)
滋賀県近江八幡市永原町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman07玄関を入って右側の部屋は内装や家具だけでなくネジ巻きの蓄音機など面白そうなものが沢山残されていて興味津々。
一方、入って左側の部屋は近頃の素材を使った修復がされているようで、ちょっぴり残念。
外回りも、きれい過ぎるくらい良く手入れがされていました。

近江兄弟社アンドリュース記念館
(旧近江八幡YMCA会館)
1935年(昭和10年)
滋賀県近江八幡市為心町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman08近江八幡教会のすぐ目の前にある牧師館。
もともとは寮だったので、かなり大きな建物です。もちろん現在も使われているので、私が訪ねた時も玄関先で二人のご婦人が、かなり長い間立ち話をされていました。
そういう訳で、本当は玄関周辺を撮りたかったのだけど断念。
ちなみに教会も、かつては1924年に建てられたヴォーリズ建築でしたが、火災で焼失後、別の建物に建替えられたのだそうです。

日本基督教団近江八幡教会牧師館
(旧近江兄弟社地塩寮)
1924年頃?(昭和初期)
滋賀県近江八幡市為心町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman09YMCA派遣教師として来日したヴォーリズさんが英語教師として勤めた旧八幡商業学校の本館。
ヴォーリズさんは着任して間もなくバイブルの勉強会を開き、生徒達の心をつかんでしまったことが、かえって地元町民や他宗教の反発を呼んでしまい、僅か2年あまりで解任されてしまったのだそうです。
後年、そんな苦い思い出のある学校の設計をも引き受けてしまうところが、さすがヴォーリズさんですね!
直線を活かしたシャープなファサードが印象的。
玄関周辺のデザインも、さり気なくアールデコ調だったのには感心させられました。

滋賀県立八幡商業高等学校本館
(旧滋賀県立八幡商業学校本館)
1940年(昭和15年)
滋賀県近江八幡市宇津呂町

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08 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その1

Omihachiman01ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)が1905年(明治38年)に24歳で来日して以来、活躍の拠点として生涯のほとんどをすごし、現在も建築ばかりでなく多くの功績の残っている近江八幡で、10月3日から11月3日まで開催された「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展 in 近江八幡」へ行ってきました。

ヴォーリズさんに関する展示を近江八幡市内に現存しているヴォーリズ建築に分散展示し、街を散策しながら、様々な角度から迫ったヴォーリズさんの横顔に触れることのできる画期的な展覧会でした。

また、公式ガイドブックに載っているモデルコースに従って街を巡っていけば、初めてこの街を訪れた私のような不慣れなものでも効率よくヴォーリズ建築をまわることができ、大助かりでした。

そして、各々の会場で案内役を務めてくださった市民ボランディアの方々と言葉を交わしたり、説明をしていただいているうちに、街の人々がヴォーリズさんに対して親しみや慈しみの気持ちを持ち続け、誇りに思っていらっしゃることが、とても強く伝わってきました。

Omihachiman02そんな、今もヴォーリズさんの息づいている街を、私もタイムスリップした気分で、のんびりと楽しく散策させていただきました。

一番最初は「旧八幡郵便局舎」。
小さいながらも、とてもエキゾティックな外観が印象的な建物でした。

Omihachiman04内部には、作り付けの木製カウンターや引き出しが当時のまま残っていて、細かな植物模様の刻まれたガラスが、とても繊細でステキでした。

Omihachiman03
次は「近江兄弟社学園ハイド記念館」。
近江兄弟社学園は、ヴォーリズ夫人の満喜子さんが開いた保育施設「清友園」から始まった現在は保育園から高等学校までが併設された学校で、私が訪ねた日は休日だったのですが、クラブ活動で登校していた生徒さんが爽やかな挨拶を、ごく自然にしてくださったのが、とても気持ちよかったです。
階段の下に引き出しが設けられていたり、小さな子供たち一人一人のための木製ロッカーなど、とても細やかな配慮の行き届いた、優しさにあふれた美しい建物でした。

   ◇  ◇  ◇

旧八幡郵便局舎
1921年(大正10年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市仲屋町

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近江兄弟社学園ハイド記念館
1931年(昭和6年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市市井町

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02 November 2009

オルガンの音響く「明治学院礼拝堂」

Meijigakuin01昨日、数少ない東京のヴォーリズ建築の一つ「明治学院礼拝堂」へ行ってまいりました♪

一月ほど前のこと、東京文化財ウィーク2009のパンフレットをパラパラとめくっていると、そこには、2日間のみ特別公開される「明治学院インブリー館」と共に、ヴォーリズさんが手がけた礼拝堂も一般公開されるという情報が。
これは絶対行かなくちゃ!と楽しみに待っていたのでした。

Meijigakuin02この日は、ちょうど学園祭も開催されていて、道中、ブラスバンドとチアリーダーのパレードに遭遇したり、キャンパス内は学生さん達の元気な呼び込みの声があふれていたりと、なかなか賑やかでした。

そんな訳で、ゆっくり静かに拝見させていただくという訳にはいかなかったのですが(見せて頂いてるのに、そんなこと言うのは我が侭ですね)逆に学園祭期間中だったが故の幸運もありました。

Meijigakuin03飾り気のない小さな入り口からエントランスに足を踏み入れると、あ!オルガンの音がする♪
そのメロディーに導かれるようにして中に入ると、想像していたより、ずっと大きな礼拝堂には、これまた、とても立派な美しいパイプオルガンがあり、ちょうどバッハ(だと思う)が演奏されている最中でした。(翌日の演奏会のリハーサルだったようです)

Meijigakuin04入り口でいただいたリーフレットによると、2003年12月から2008年2月にかけて行われた礼拝堂の改修工事に併せて設置が進められていたオルガンは、オランダ人オルガン・ビルダーのヘンク・ファン・エーケンさんの「最高品質のオルガンを設置したい」という妥協のない制作姿勢により完成が大幅におくれ、つい先日の2009年10月末に奉献式を終えたばかりのピッカピカの新しいオルガンだったのです♪

そして、このオルガン、もちろん新品なのですが、18世紀前半の北西ヨーロッパの伝統を受け継いだ「古き良き音」を再現したものだそうで、19世紀に一度完全に途切れてしまったオルガン建造技術を復活すべく、材料の吟味から始まり、すべて工程で古来からの方法を使って手作りしたのだそうです。

Meijigakuin05ところで、1916年(大正5年)に竣工した礼拝堂は、その3年後にヴォーリズさんご自身も結婚式を挙げられた縁あるもので、その、むき出しの梁と木組みの天井が特徴の、とても素晴らしい建物でした。
堂々とした威厳を保ちながらも、暖かで優しさを感じさせるところがヴォーリズさんらしいですね。
ただ、礼拝堂翼部は昭和9年に増築されたものなので、もしかすると竣工当時と現在とでは外観も内部の印象も、かなり違ったものになっているかもしれないです。
オルガンの音色に耳を傾けながら、翼部の無かった頃を頭の中でイメージしてみたり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。

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明治学院礼拝堂
1916年(大正5年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
東京都港区白金台1-2-37

【関連エントリ】
明治学院「インブリー館」
明治学院「記念館」

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26 October 2009

心落ちつく「駒井家住宅」

Komaike01東寺を出る頃には、朝から降り続いていた雨もあがり空も明るくなってきました♪

天気予報では確か今日は一日中雨で、午後には、かなり激しくなると言ってたけど・・・

うふふ(^^)私の晴れ女パワーが効いてきたかな?と(いい気なもんだ(^^;;;)足取りも軽く、次の目的地、北白川へ向かうことにしました。

北大路で地下鉄からバスに乗り換え着いたのは、円熟期のヴォーリズさんが手がけた駒井家住宅。
それは白川疎水周辺に広がる緑豊かで閑静な住宅街にありました。

Komaike02半分開いていた小さな門から、そっと中へ入ると、すぐにスパニッシュ風アーチで飾られた玄関が見えます。
そして、そこに立った瞬間、横浜や神戸などに残る西洋式住宅とは何となく雰囲気の違うことに気がつきました。

Komaike03その理由は、ゆっくり建物の中を拝見させていただくうちに解ってきました。

まず、その一つが使われているスケールです。
実際に測ってみた訳でも図面を見た訳でもないので、あくまで私の勘ですが(^^; この住宅は西洋風な意匠だけれど使われた寸法は従来の日本のものだったのではないかと感じました。
もう一つは、過度の贅沢品や華美なものが一つもないこと。

Komaike04ヴォーリズ住宅に欠くことのできない暖炉すらありません。(暖炉と洋瓦は、周囲の景観に配慮した施主の希望により取り入れなかったのだそうです。)

だからでしょうか? あふあふと慌てて到着したにも関らず、その空間に身を置いた途端、我が家に帰ったような、すっと心落ちつくものを感じました。

Komaike05この住宅の施主である駒井卓さん(1886~1972)は、ダーウィンの研究でも知られている理学博士。京都大学で教鞭もとられていたそうです。

「日常生活の使用に対して、住み心地のよい、健康を守るに良い能率的建物を要求する熱心なる建築依頼者の需に応じて、吾々はその意をよく汲む奉仕者となるべきである。」というヴォーリズさんの建築理念に共感したことや、夫人の静江さんとヴォーリズ夫人の満喜子さんが神戸女学院の同窓生だった縁もあり、設計をお願いしたそうです。

Komaike06教え子など大勢の来客にも対応できる居間、庭に面したサンルーム、博士の書斎、窓から比叡山をはじめ周囲の山々が一望できる寝室など、どの部屋も、とても居心地が良さそうでした。

Komaike07_2また、作り付けの家具、腰掛の下の引き出し、機械仕掛けの梯子で登れる屋根裏収納、階段下のスペースを利用したトイレ等、細やかな工夫が随所にみられ、機能的にも優れた住宅だったことが解りました。

Komaike08庭には、ヴォーリズさんの設計ではありませんが書生さんの為の離れや小さな温室も残っていて、決して広いとは言えないスペースですが、博士が住まわれていた当時の雰囲気そのままを伝えているのではないかと思われました。

カメラ片手に住宅や温室を出たり入ったりしているうちに、あっ、また雨が・・・(^^;;;

復路は茶山駅から叡山電車に乗って出町柳まで戻りました。

   ◇  ◇  ◇

駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)
1927年(昭和2年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市左京区北白川伊織町64番地

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22 October 2009

夕暮れの「大丸ヴィラ」

Daimaru_villa01同志社大学のキャンパスで、私は一体どのくらいの時間をすごしたのだろう?
あっちをウロウロ、こっちをキョロキョロ、もう随分沢山の建物を観たつもりになっていたけれど、あくまで、それは今出川通りに面したほんの一部。
さらに奥へと進めば、「同志社礼拝堂」「彰栄館」「ハリス理化学館」「クラーク記念館」と、まだまだ沢山の重要文化財級建築があるのです。

しかし、ふと気がつくと、頬にあたる風も冷たくなり、太陽も建物の影に隠れ始めていました。

Daimaru_villa02ああ、困ったな。
どうしても、今日中に見ておきたいヴォーリズさんの建物が、もう一つあったんだ!
陽が暮れるまでに間に合うだろうか?


う~ん、悩む。
でも、悩んでいる場合じゃない。
仕方ない、同志社は次の機会に、またお邪魔させていただくことにしよう!

Daimaru_villa06そうと決まったら早いです。
今出川から丸太町に向かって京都御苑を左手に見ながら、とっとこ歩き出しました。
本当は、京都御苑の中を、のんびり歩きたかったのです。でも、私のことだから、またきっとキョロキョロしちゃいそうだったので諦めました。(^^;;;

そして、道すがら現れた日本聖公会の「聖アグネス教会」や平安女学院の建物に寄り道したい気持ちも何とか抑え、まだ見ぬヴォーリズさんに向かって脇目もふらず(^^;;;ひたすら歩いたのでした。

Daimaru_villa04すると右手前方に、煉瓦を独特に積み上げた高い塀が見えてきました。
あ、これだ!この積み方はヴォーリズさんに違いない!間に合った~
何とか暗くなる前に到着です。(^^)

木製の大きな門の装飾窓を覗いてみると、京都に居ることを一瞬忘れてしまいそうなチューダー様式の洋館が建ってます。
以前、winter-cosmosさんのブログ「緑の森を楽しく歩いた」で拝見した時から、京都に行ったら必ずや訪ねてみたいと思っていた「大丸ヴィラ」です。(^^)

Daimaru_villa05もともとは大丸さんを創業した下村家の邸宅として建てられましたが、現在は株式会社大丸が所有しているそうです。

非公開のため、高い塀と固く閉ざされた門と大きな樹に囲まれた建物に接近することは出来ませんが、いつもの如く、背伸びをしカメラを中に差し込む裏技で撮影させていただきました。(^^;;; スミマセン・・・

ところで、京都御苑周辺のあちこちで、藤袴の鉢植えが飾られているのを多く見かけました。
近年、絶滅の危機に曝されている野生種の藤袴を守ろうというプロジェクトなのだそうです。

守ろう!藤袴プロジェクト

わが家の庭にも赤紫色の藤袴はありますが、野生種の淡い紫色の藤袴は初めて見ました。そこはかとなく素朴でステキです。
大丸ヴィラの門の前にも飾られていたので、パチリ!(^^)

   ◇  ◇  ◇

大丸ヴィラ(旧下村邸)
1932年(昭和7年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市上京区烏丸通丸太町上ル春日町

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20 October 2009

同志社大学「新島遺品庫」ほか

同志社大学の今出川キャンパスには、ヴォーリズさんの他にも魅力的な建物が沢山あったので、ここではヴォーリズさんの作品と交えてご紹介です♪

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Doshisha_yushukan西側の門を入ると左奥に見えるのが有終館。
煉瓦が少し黒ずんでいるせいか、いかにも古そうで重厚な雰囲気が漂っています。アプローチの階段も印象的で、なかなかバランスの良いファサードです。
かつて火災被害にあい、取り壊し案も出たそうですが、建築家武田五一からの強い反対にあい修復保存工事が行われました。煉瓦の黒ずみは火災時の傷跡かもしれないですね。
書籍館の役割りを2代目図書館(啓明館)に譲り、現在は事務棟として使われています。

同志社大学有終館(旧書籍館)
重要文化財
1887年(明治20年)
設計:D.C.Green
京都市上京区今出川通烏丸東入


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Doshisha_tienkanこちらは再びヴォーリズさんの設計による建物です。
有終館の斜め向かい側にある致遠館。
周囲に植えられた樹が、すくすく大きく育って、ほとんど建物が見えませんね。(^^;
教室として作られたので入り口を中心にして左右に長く伸びた比較的シンプルな外観の建物ですが、赤い煉瓦に白い石の装飾がさり気なく効いてます。現在は事務棟です。

同志社大学致遠館
1916年(大正5年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市上京区今出川通烏丸東入


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Doshisha_niijimaこの小さな建物もヴォーリズさんです。
女子大側の門を入ってすぐのところにあります。
収蔵庫だから窓が、ぜんぜん無いのですね。(^^;;;
創始者新島襄や同志社関係資料約6,000点が収蔵されているそうです。
原資料は非公開ですがデジタル化されたものはインターネットで閲覧することができます。
新島遺品庫資料の公開

同志社大学新島遺品庫(旧図書貴重品庫)
1942年(昭和17年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市上京区今出川通寺町西入

  
   ◇  ◇  ◇


Doshisha_eikou01新島遺品庫の前を通り、更に奥へ進むと、そのまま隣接している同志社女子大学のキャンパスへ入ることができます。

すると、またまた目をひくステキな建物が次々と現れて来たではありませんか。
その一つが栄光館。女子大の正門からアプローチすれば真正面に位置するシンボル的建物です。
とても個性的なデザインですね。
約1,600人収容できる講堂があり、毎日の礼拝や入学式、卒業式など式典が行われるそうです。

Doshisha_eikou02同志社女子大学栄光館
登録有形文化財
1932年(昭和7年)
設計:武田五一
京都市上京区今出川通寺町西入

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18 October 2009

同志社大学「アーモスト館」

Doshisha_amherst01一度、門を出て、同志社大学と女子大の間を通っている相国寺の総門へと続く道を進んでゆくと、突如、その瀟洒な姿を現したのが「アーモスト館」でした。

堂々と大きな啓明館とは、まるで対照的な可愛らしい建物は、お伽話に出てくるお屋敷のようで、高い4本の煙突からはサンタクロースばかりでなく妖精や魔法使いも出入りしていそう♪

外観だけでも、これだけ眼を奪われてしまうのだから、内装もさぞかしお洒落なデザインで溢れているのだろうな。

Doshisha_amherst02このコロニアル様式の建物は、同志社大学の創始者新島襄の母校アーモスト大学の卒業生らの寄付で造られた二校の交流のシンボル。
比較的最近まで学生寮として使っていたそうですが、現在は海外からの研究員の長期滞在用の施設として利用されているのだそうです。

Doshisha_amherst03塀や門扉も建物と良く調和していて、洋風建築ばかりの同志社の中でも、この一角だけが特別な空間を作り出していました。

それにしても、何てステキな寮なんでしょう。美しいばかりでなく、良く手入れもされているようで、ここなら快適な研究生活がおくれそうですね。
羨ましい。(^^)

Doshisha_amherst04左の写真は、隣接するアーモスト館の管理棟、こちらもヴォーリズさんの手によるものだそうです。


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同志社大学アーモスト館
登録有形文化財
1932年(昭和7年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市上京区今出川通寺町西入

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17 October 2009

同志社大学「啓明館」

Doshisha_keimei01京都御所のすぐ北に位置する同志社大学と同志社女子大学は近代建築の宝庫。ため息がでるほど美しい建物がキャンパス内に所狭しとひしめいていて、お目当てだったヴォーリズさんの建物も、もちろん観ることができました♪

Doshisha_keimei02仁和寺を後にしバスで今出川に到着したのは、ちょうど同志社女子中高校生達の下校する時間帯。女子大生のふりをするのは、さすがにもう無理なので(^^;;;学校見学にきた父兄のような顔をして、怪しまれない程度にキャンパス内を散策させていただきました。

Doshisha_keimei03では、まずヴォーリズさんの建物から♪

女子大側の門を入ると、すぐ左側にそびえ建っているのが「啓明館」。
1920年に2代目の図書館として落成した、かなり大規模な建物で、2007年には国の登録有形文化財に指定されたそうです。
現在は、同志社社史資料センターや事務棟として使われています。

Doshisha_keimei06ドッシリとしたアーチ型の庇のついたファサードがとても印象的で、赤い煉瓦と白い窓枠のコントラストが、とても美しいです。
こっそり潜入させていただき、内側から正面アーチ部分の窓や階段も見せていただきました。

Doshisha_keimei05階段手すりの彫刻も手が込んでいて見事です。当時、相当な費用をかけて造られた図書館であったことが、うかがい知れますね。
慌ててシャッターを切ったので(小心者ゆえ(^^;;;)ピンボケ写真です。

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同志社大学啓明館(旧図書館)
登録有形文化財
1920年(大正9年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市上京区今出川通寺町西入

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