30 July 2013

蝋燭の灯りによる《熊坂》@国立能楽堂

Noh_jul2013年7月25日(木)
国立能楽堂

先週、蝋燭能を観てきました。
見所(けんしょ=能では観客席を見所というのだそう。この日、場内アナウンスで知りました)に入ると、舞台の周りの白洲に、白い紙が漏斗状に巻かれた燭台が、五本一組にして並べられていました。
その、いつもとは違う雰囲気に、早くもワクワク♪
そして、開演の少し前になると、蝋燭一本一本に火が灯されてゆきました。
勿論それらは和蝋燭。どう見たってキャンドルではないことに軽い感動を覚えたのでした。
一枚の紙を透した蝋燭の炎は柔らかで、紙に遮られ周囲の空気の動きに影響されないためか、光はゆらゆら揺れることもなく静かに広がり、能舞台の静かで落ち着いた雰囲気を、なお一層高めているようでした。

さて、まず最初の狂言は、夜の瓜畑に入り込み瓜を盗む男と、瓜畑の持ち主との騒動を描いた《瓜盗人》。
ほんのりと蝋燭に照らされた舞台は、夜の畑という舞台設定にぴったりで演出効果は抜群でした。
盗人が案山子に化けた畑主を相手に、あれやこれやとやらかす姿は滑稽で笑いを誘いますが、そこには先入観にとらわれ現実を見ることのできない人間の比喩が隠されているのだとか。
ふうん、なるほど~ 狂言も奥が深いな~
それから、狂言にも囃子方の入るものもあるのですね。珍しい舞台を拝見することができました。

次に上演された能は、牛若丸に討たれた大盗賊熊坂長範の幽霊が登場する夢幻能《熊坂》。
前半は、旅僧も長範の霊が姿をかえた僧も直面(ひためん)のせいもあってか、かなり渋い感じで進んでゆくのですが、後半では一転、長範の霊が、さすが大泥棒!着ているものも違うな~と思わずにはいられない豪華な錦糸で織られた装束をまとって現われました。
そして、長霊癋見(ちょうれいべしみ)という、この曲でしか使われない不気味な表情の面と、長範頭巾という独特な頭巾も見ることができました。
牛若丸と激しく戦う長範は、蝋燭の炎に照らされて浮かんでは消え、消えては現れます。
その有様は、まさに幻の世界を見るようでした。
明るい人工照明に慣れた現代人の私の目には、もっと細かいところまで見たいのに見えないという若干のジレンマはありましたが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出しながら、蝋燭能の醍醐味を堪能させていただきました。

   ◇  ◇  ◇

狂言《瓜盗人》(大蔵流)
シテ(男):茂山千三郎
アド(畑主):茂山正邦

笛:一噌幸弘
小鼓:鵜澤洋太郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:金春國和

能《熊坂》(宝生流)
前シテ(僧)後シテ(熊坂長範):朝倉俊樹
ワキ(旅僧):宝生欣哉
アイ(所の者):茂山逸平

笛:一噌幸弘
小鼓:鵜澤洋太郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:金春國和

後見:宝生和英、渡邊茂人
地謡:金井賢郎、小倉健太郎、當山淳司、金井雄資、東川尚史、高橋亘、澤田宏司、小倉伸二郎

|

16 June 2013

《天鼓》@国立能楽堂

Noh_jun2013年6月8日(土)
国立能楽堂

今月もまた能を観に行ってきました♪
ほんの数年前までは敷居が高くて近寄り難かったのに、変われば変わるものです。近頃は、あの能楽堂の空間に居心地のよさを感じています。

さて、狂言《昆布売》は、とっても面白かった♪
ただ可笑しいだけでなく、そこには武士と昆布売の立場が逆転するという、室町時代に広まった下克上の風潮が現されているのだとか。
昆布売に脅された武士が、謡節、浄瑠璃節、踊節など、いろいろな節まわしで売り声を真似する場面は、三味線の音を言葉に置き換えてみたり踊ってみたり。それぞれの雰囲気が良く出ていて、とても楽しめました。

ちなみに謡節は
「昆布召せ 昆布召せ お昆布召せ 若狭の小浜の召しの昆布 若狭の浦の召しの昆布♪」

それが浄瑠璃節になると
「つれてん つれてん てれてれてん♪ まづこれが三味線の心持ちじゃ 昆布召せ 昆布召せ お昆布召せ 若狭の小浜の召しの昆布 つれてん つれてん てれてれてん♪」

さらに踊節は
「昆布召せ 昆布召せ お昆布召せ 若狭の小浜の召しの昆布 召しの昆布 この しゃっきしゃ しゃっきしゃ しゃっきしゃっき しゃっきしゃ♪」

といった具合。
当時、世間で流行っていた節を取り入れているのだそうですが、今、聴いても楽しめてしまうところがすごい!

それから、武士のタツノオトシゴ模様の装束は可愛いし、昆布売の背中には二尾の大海老の模様が大胆にあしらわれていて、なかなか粋でした。

さて、休憩をはさんで後半は能《天鼓》。
この曲を見るのは二度目。今回も感動しました。
老いた父の王伯と若き天鼓の対比が見所のひとつだそうですが、その演じわけも素晴らしかったし、装束も見事だったし、面も美しくうっとり〜♪
登場人物は3人と少なく、シンプルな舞台なのに、こんなに魅せられてしまうとは!

ところで、天鼓が鼓を打つ場面では、お囃子の小鼓のタイミングと合う瞬間もあったり、鳴らなかったり。また、前回はお囃子に太鼓があったのに今回はなかったし、地謡は前回は4人だったのに今回は8人でした。
流派によって違うのかな?

   ◇  ◇  ◇

解説:村瀬和子

狂言《昆布売》(和泉流)
シテ(昆布売):高澤祐介
アド(何某):前田晃一

能《天鼓》(宝生流)
前シテ(王伯)後シテ(天鼓):武田孝史
ワキ(勅使):高井松男
アイ(勅使の使者):三宅右近

笛:一噌幸弘
小鼓:鵜澤洋太郎
大鼓:佃良勝

後見:高橋章、渡邊茂人
地謡:内藤飛能、朝倉俊樹、亀井雄二、三川淳雄、小倉伸二郎、亀井保雄、高橋亘、金森秀祥

【関連エントリ】《天鼓》@矢来能楽堂(2010/06/28)

|

17 May 2013

《田村》@国立能楽堂

Noh_may2013年5月11日(土)
国立能楽堂

この日は、思っていたより早く雨が降り出した。
あ~あ、これで今回もkimonoデビュー見送り決定か。降るのか降らないのかハッキリしない天気に頭を悩ますよりは良いけれど、やっぱり残念。
私、晴れ女だったはずなのにな~ 変だな~
能楽堂にはkimonoを着てゆくなってことなのかしら?
でも、客席には雨にも関わらず何人ものkimono姿が見られ、次回こそ私もと、ますます強く思った次第。
あれれ?何だかkimonoが着たいがために能鑑賞しているみたい。

さてさて余談はこのへんにして、肝心の公演のほうに話をうつします。

まずはじめに、すてきなkimonoを召された歌人の馬場あき子さんによる《田村》の作品解説。
知らない用語がいっぱい出てきて、時々、私だけ置いてきぼりにされてしまった気分になる。
解説の解説が欲しいよ~
日本語なのに解らないなんて悔しい。
もっと勉強せねば。

お話しが終わり馬場さんが舞台からさがると、直ぐに狂言《左近三郎》がはじまる。
ちなみに、これ、《さこのさむろう》と読むのだそうです。
三郎は狩人。
ある日、狩りに行こうとした時、僧に会ってしまいます。
そこで、殺生についての問答が始まるのです。
脅してみたり、誤魔化してみたり、つい本当のことを言ってしまったり。
その台詞や仕種の可笑しさを感じられただけでも充分に満足でしたが、仏教や作品の作られた江戸時代の世相を知っていたら更に楽しめたのだろうなと思うと、やっぱりもっと勉強が必要なようです。

休憩をはさんで次は能《田村》
今回は「替装束」「長胡床(ながあぐら)」という特別な上演方法でした。

まず前シテの能面が「童子」から美青年「喝食(かっしき)」に、後シテの能面は「平太」から「天神」に変わっていました。
喝食の面は、とても美しく、特に斜め前の角度から見た時の憂いある表情に魅せられました。

シテの武田志房さんは小柄な方で、その姿は童子そのもの。
だからこそなのですが、第一声が発せられた瞬間、それがバリトンだったので、私の中で違和感発生!
うーむ、ボーイソプラノとまでは言わないけれど、せめてテノール位の高さがあったら良いのになと思いました。
能って役に合わせた声質や音域は問わないのかしら?

それにしても、馬場さんが要注目とおっしゃっていた、童子(田村麿の化身)が橋掛を戻ってゆく場面は、見ている私まであちらの世界に連れて行かれそうな、とても神秘的な雰囲気でした。

後シテは、能面だけでなく、太刀も脇差から背中に差す大太刀にするという、時代設定に忠実な装束になっていました。
そして、鈴鹿討伐の場面は、ひとところに座ったままの「長胡床」です。
身体は動いていないけれど、心で演じているのだそうです。
この場面は、地謡とお囃子の重奏が素晴らしく、シテも長胡床とはいえ、足を踏み鳴らしたり身体の向きを変えたりと見事に馬上の姿を現していました。そして最後の舞で、ますます舞台は一体化し盛り上がっていったのでした。
前シテと後シテの演じ分けの上手さもあったのか、修羅物(二番目物)も、なかなか面白いなと思いました。

そして、パタリと曲が終わると、まるで何事もなかったかのように演者たちが順に舞台を下りてゆく。
このメリハリが良いんだな~

   ◇  ◇  ◇

狂言《左近三郎(さこのさむろう)》(大蔵流)
シテ(左近三郎):茂山七五三
アド(出家):茂山あきら

能《田村》替装束 長胡床(観世流)
前シテ(童子)後シテ(坂上田村麿):武田志房
ワキ(旅僧):高井松男
ワキツレ(従僧):舘田善博、野口能弘
アイ(門前の者):茂山童司

笛:藤田次郎
小鼓:大倉源次郎
大鼓:國川純

後見:観世恭秀、武田文志
地謡:武田崇史、小川明宏、佐川勝貴、岡久広、野村昌司、角寛次朗、小川博久、中島志津夫

|

09 April 2013

《高野物狂》@国立能楽堂

Noh_april2013年4月6日(土)
国立能楽堂

宵の口には春の嵐がやってくるという怪しい雲行きのなか、しっかり雨支度をして千駄ヶ谷の国立能楽堂へ行ってきました。
この日、お天気がよければ、kimonoデビューの予定でしたが、雨と風の予報が出ていたので、きっぱり断念。ちょっぴり残念だったけど、慣れない装いに惑わされることなく、その分、舞台に集中することができました♪

まず最初は、2月の「のうのう能特別公演」で《舟渡聟》を見せてくださった野村万作さんと石田幸雄さんによる《富士松》。
息のあったお二人の狂言を、つづけて観られるとは、なんと幸運なことか!
しぐさよりも連歌を付け合う言葉遊びがメインの作品だったので、私に理解出来るかどうか、最初は心配でしたが、小気味良くテンポの上がってゆく掛け合いは、ロッシーニのオペラのようで、とても楽しかったです。
それにしても何ともしたたかな太郎冠者。だけど憎めないのですよね。

さて、休憩をはさんで上演された能《高野物狂》は、直面(ひためん)といって能面を使わない演目。
しかも(だから?)女の人は登場しない。ということは華やかな装束も期待出来そうにない。
う~む、私でも楽しめるかしら?と、またもや不安になったのですが、心配は無用でした。

題名が示すとおり、この作品は、主人亡きあと預かり育てていた遺児が忽然と姿を消してしまったため、従者が狂わんばかりの悲しみを抱え、あてのない旅に出たのち、高野山で再会を果たし、喜びあい、共に仏門にはいるという主君愛が描かれた男物狂能。

物狂とは言え、どこか抑制の効いた舞いからは、男の人の理性や秘めた苦しみが感じられ、それがかえって四郎の春満への強い思いとなり、こちらにも伝わって来るのでした。
そんな四郎の姿に気づいた春満が声をかける場面では思わず涙が・・・

ところで、能の後半は、小さな松の木を置くことで高野山であることを現わすという極めてシンプルな舞台装置。
なのに、たったそれだけで聖地の厳かな空気が漂ってくるから不思議です。
そして、四郎の装束も僧らの装束も決して色鮮やかなものではありませんでしたが、渋い色や格子柄なのに素材の質感や色の重ねがとても美しく、魅了されました。

また、四郎が持っていた笹の枝は、物狂をあらわしているのだとか。そういえば《隅田川》の梅若丸の母も笹の枝を持ってたよ~ そうか!能にもアトリビュート(持物)があるんだ!と知り、がぜん能鑑賞が面白くなりました。

それから、世阿弥は『風姿花伝』のなかで、直面について「これまた大事なり。自分の顔つきを変えて、それらしく演技するのは見られたものではない。」と言っています。
なるほど~ 四郎を演じた渡邊荀之助さんも高野山の僧を演じた福王和幸さんも、その表情は特にとりつくろったところがなく自然のままでした。
面はつけてないけど、役を演じるための面を素顔で演じるているような、うううう、なんだかややこしいけど、ここにも能ならではの醍醐味を感じたのでした。

春満を演じた、たった6歳の能楽師和久凛太郎くんも見事でした。
感動的な四郎との再会の場面まで、長時間、片膝を立てて座ったままの姿勢を保つのは、大人だって、相当大変なことだと思われるのに、最後の最後まで立派に演じ切っていました。
それにしても、凛太郎くんのまあるいホッペと明るい澄んだ声が、とっても可愛いらしかった。

   ◇  ◇  ◇

狂言《富士松》(和泉流)
シテ(太郎冠者):野村万作
アド(主):石田幸雄

能《高野物狂》(宝生流)
シテ(高師四郎):渡邊荀之助
子方(平松春満):和久凛太郎
ワキ(高野山の僧):福王和幸
ワキツレ(従僧):村瀬提
ワキツレ(従僧):村瀬慧
アイ(高師四郎の下人):竹山悠樹

笛:一噌庸二
小鼓:成田達志
大鼓:安福建雄

後見:高橋章、武田孝史
地謡:東川尚史、東川光夫、亀井雄二、小倉敏克、和久荘太郎、朝倉俊樹、小倉伸二郎、小倉健太郎

|

25 February 2013

《住吉詣》@国立能楽堂

Sumiyoshi_moude2013年2月24日(日)
国立能楽堂

千駄ヶ谷の国立能楽堂で開かれた第33回のうのう能特別公演で源氏能のひとつ《住吉詣》を観ました。
仕舞も源氏づくし、狂言も舟での道行にちなんだという、なかなか凝った演目の公演でした。

《住吉詣》は、『源氏物語』「澪標」の巻の一場面を題材にした能で、原作では、偶然、同じ日に住吉大社を参詣した光源氏と明石の君(能では明石上)は顔を会わすことなく歌を交わして別れるのですが、能は、二人は再会し、盃を交わし、共に舞い、喜びあうという全く趣の違うものになっていました。

確かに、光源氏の一行と明石上や侍女ら大勢の登場人物で一杯になった舞台上で繰りひろげられる宴の場面は、それはそれは華やかで見応えあるものでした。
明石上の装束も眩いほど。
光源氏と明石上の舞も美しかった。

でも、何か物足りなさを感じたのも事実・・・

己の立場をわきまえ袖を濡らしながら住吉から離れていった明石の君。
そのことを後で知り、明石の君を思いやって歌をおくった光源氏。
ああ、やっぱり私は原作のほうが好き。

みをつくし恋ふるしるしにここまでも
めぐり逢いける縁(えに)は深しな
(光源氏)

数ならで難波(なには)のこともかひなきに
などみをつくし思ひそめけむ
(明石の君)

露けさの昔に似たる旅衣
田蓑の島の何は隠れず
(光源氏)

   ◇  ◇  ◇

解説:河添房江

仕舞《源氏供養》
観世喜之
仕舞《須磨源氏》
梅若玄祥
地謡:佐久間二郎、中所宜夫、観世喜正、古川充

狂言《舟渡聟》
舅:野村万作 
聟:石田幸雄
嫁:高野和憲

能《住吉詣》
シテ(明石上):観世喜正
ツレ(光源氏):梅若紀長
ツレ(侍女):中所宜夫、遠藤和久
ツレ(従者):中森健之介、桑田貴志、小島英明
ツレ(惟光):遠藤喜久
子方(随身):馬野訓聡、遠藤瑤実
子方(童):奥川恒成
ワキ(住吉の神主):森常好
アイ(社人):深田博治

笛:藤田六郎兵衛
小鼓:大倉源次郎
大鼓:亀井広忠

後見:観世喜之、奥川恒治、山中迓晶
地謡:古川充、佐久間二郎、坂真太郎、川口晃平、馬野正基、梅若玄祥、山崎正道、鈴木啓吾

|

28 June 2010

《天鼓》@矢来能楽堂

Tenko2010年6月26日(土)
矢来能楽堂

先日、随分と久しぶりに能を観て来ました。
外は時折パラパラと雨粒の落ちる梅雨空だというのに神楽坂の町は地図を片手に散策する人やお買い物の人々でかなりの賑わいでしたが、能楽堂の門をくぐれば、そこはいつもながらのシットリと落ち着いた空間。
紫陽花や都忘れの花が清清しく出迎えてくれました。

今回の「のうのう能PLUS」の演目は、中国物の《邯鄲》と《天鼓》。
前半に法政大学教授で法政大学能楽研究所所長も務められた表章氏から《天鼓》の上演史の解説があり、能も時代の要請にあわせて様々に形を変化させながら現在まで伝えられて来たことを知りました。

解説の後に、中国物の《天鼓》にちなみ、栄枯盛衰とは極めて儚いことであると例えた中国故事をもとにした仕舞《邯鄲》が舞われ、私も瞬く間に幽玄の世界に引き込まれてゆきました。
この演目は豪華な装束も面も付けない上演ですが、その舞は片時も目が離せないくらいステキでした♪

   ◇  ◇  ◇

さて、《天鼓》は、中国・後漢時代のお話。
王伯、王母という夫婦がおり、ある日、妻の王母は、天から鼓が降って胎内に宿るという夢を見ました。そうして授かった子に天鼓と名づけると、その後、本当に天から鼓が落ちて来たのでした。
そして、鼓と共に成長した天鼓が、その鼓を叩くと、何とも妙な音がして、聴く者を感動させ喜びの声を上げさせるようになりました。

そんな話を耳にした帝は、鼓を召し出すようにと勅令をくだしますが、天鼓は嫌がり鼓を持って隠れてしまいます。
しかし、あえなく捕らえられて鼓を取り上げられ呂水に沈められてしまったのでした。
ところが、主を失った鼓は、誰が叩いても全く鳴りません。
そこで帝は勅使を送って天鼓の父王伯を呼びだします。
鼓が鳴らなければ自分も殺されるのを覚悟で、天鼓への思いを胸に鼓を打つと、この世のものとは思えない音が鳴り響いたのでした。

感動した帝は、天鼓の冥福を祈るため呂水のほとりで管弦講を行いました。すると天鼓の霊が現れ、懐かしい鼓を打ち、管弦に合わせて、ひとしきり喜びの舞を舞ったのでした。

   ◇  ◇  ◇

能の前半は、年老いた父王伯を演じたシテが、後半では一転して、天鼓の霊となって若く初々しい舞を披露。
その演じ分けの上手さには驚きました。
そして、それぞれの装束の素晴らしいこと。特に天鼓の霊で使われた面の美しさには強く魅せられました。

それにしても、この世のものとは思えない鼓の音って、どんな風に表現するのだろう?
小鼓が受け持つのかな?
それとも大鼓かな?
と興味津々その場面を待ち構えていたら、な、なんと!
そうなんです。
鼓を打つ所作をするだけで、実際に音はしないのです。
いいえ、観ている人それぞれの中で鼓は鳴っているのですよね。

ううううむ、これぞ能の醍醐味か?!
またも、やられちゃいました。

   ◇  ◇  ◇

仕舞《邯鄲》
観世喜正

能《天鼓 弄鼓之舞》

前シテ(王伯)後シテ(天鼓の霊):観世喜之
ワキ(勅使):宝生欣哉
間狂言(家来):山本泰太郎

笛:一噌庸二
小鼓:観世新九郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:小寺真佐人

後見:観世喜正 桑田貴志
地謡:遠藤喜久 鈴木啓吾 佐久間二郎 中森健之介

|

25 November 2008

《紅葉狩》@矢来能楽堂

Momijigari2008年11月21日(金)
矢来能楽堂

先週末、神楽坂の矢来能楽堂で《紅葉狩》を観ました。
お能って、静かで、ゆっくりしていて、日本語わからないし、途中で眠くなっちゃいそ〜というイメージが未だあったのだけど、この《紅葉狩》は、戸隠山の鬼が平維茂(たいらのこれもち)を倒そうと美女に化けて近づき最後は本性を現して戦うというスペクタクルな演目で、眠気も吹き飛ぶ面白さでした♪

戦いの場面では、激しいお囃子と謡が続き「喉、大丈夫かしら?」と、こちらが心配になるほど。
ぴょんぴょんと舞台上を飛び跳ねる舞いは抑えられた躍動感とでも言ったらいいのかな?様式化された無駄のない所作にはうっとりするほどの美しさがあって、一瞬たりとも目が離せず舞台に引き込まれていきました。

それにしても、能装束って本当にステキ♪
今回も本来なら見ることの出来ない装束の着付けの様子を拝見させていただき、ごくごく平凡な顔立ちの能楽師さんが面(おもて)をつけた途端、悠久の時を越えた物語の登場人物、しかも美女!に変身してしまったのには何だか神秘的なものすら感じました。

それから、能の公演って、オペラと違ってサッと始まりパッと終わるところも何だか潔くてイイな♪

   ◇  ◇  ◇

能《紅葉狩》

シテ(美女・戸隠山の鬼):桑田貴志
ツレ(侍女):佐久間二郎
ツレ(侍女):坂真太郎
ワキ(平維茂):則久英志
間(侍女):山本則孝
間(男山八幡末社の神):山本泰太郎

笛 :八反田智子
小鼓:田邊恭資
大鼓:亀井広忠
太鼓:小寺真佐人

後見:観世喜正 奥川恒治
地謡:古川充 鈴木啓吾 小島英明 中森健之介

|

28 July 2008

ろうそく能《葵上》@宝生能楽堂

Aoinoue
2008年7月25日(金)
宝生能楽堂

先日、若手能楽師のグループ「神遊(かみあそび)」による、ろうそく能を観てきました。

真っ暗闇になった会場に、蝋燭を手にした二人の若人が客席後ろから登場し、舞台の周りにあらかじめ設置されていた蝋燭へ「火入れ」されると、能舞台が浮かび上がり、ゆらゆらと炎のゆれる幻想的な雰囲気の中で物語は始まります。

さて、《葵上》については、改めて説明するまでもないですね。
私も、一応、よく知っているストーリーだったので、辛うじて何とかなったのですが、演者が何言ってるのか解らないところも多く(日本語なのに、我ながら情けないっ)言葉を聞き取ることは早々に放棄し、音楽と舞と装束を中心に楽しみました。

ところで、このお能、葵上がタイトルロールのはずなのですが・・・
なんと、病に伏せる葵上は舞台上に置かれた一枚の小袖によって現わされるのみなのです。
う〜ん、なんてシンプルなのでしょ!
それだけ能の舞台って観客の想像力に委ねているってことなのでしょうか。

それにしても、鬼女に変身した六条御息所は、とっても怖かったです。
でも、蝋燭の光に照らされた般若の面は陰影に富み、ウロコ模様の装束と、裾を長く引きずった緋色の袴は、格別の美しさでした。

鬼女と化した六条御息所と、その霊を鎮めようとする小聖。
そして、どんどんと盛り上がる地謡と囃子。
その迫力に圧倒され、六条御息所の所作に目を凝らしていると、あっと言う間に終わってしまった舞台。
すると、まるで何ごともなかったかように、静かに舞台から下がって行く演者たち。
観客も、それに対し盛大な拍手をするわけでもなく、同じく静かに見守っているだけ。
(最後の最後、一部の観客から少し拍手が起こりましたが)
もちろんカーテンコールなんて、一切ありません。

ああ、こんなのも良いなぁって思いながら、私も静かに能楽堂を後にしたのでした。

ところで、蛇足ですが、さっきドナルド・キーンさんの著書『能・文楽・歌舞伎』を読んでいて知ったのが、能舞台の背景(鏡板)に描かれている大きな松って、奈良の春日大社にある「影向の松」を模しているということ。
へぇ、そうなんだ!という訳で、春日大社にも行ってみたくなりました。

   ◇  ◇  ◇

能楽囃子《源氏物語組曲》
笛:一噌隆之
小鼓:観世新九郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:観世元伯

狂言 《狐塚》
シテ(太郎冠者):高澤祐介
アド(主人):三宅右矩
小アド(次郎冠者):三宅近成
後見:前田晃一

能 《葵上》
シテ(六条御息所の生霊/鬼女): 観世喜正
ツレ(巫女・照日の前):古川 充
ワキ(横川小聖):宝生欣哉
ワキツレ(朱雀院の臣下):大日方寛
アイ(臣下の従者):高澤祐介

笛:一噌隆之
小鼓:観世新九郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:観世元伯

後見:奥川恒治、山中が晶
地謡:浅見重好、上田公威、遠藤喜久、鈴木啓吾、小島英明、桑田貴志

| | Comments (8)

28 April 2008

《隅田川》@矢来能楽堂

Sumidagawa2008年4月25日(金)
矢来能楽堂

先日、神楽坂にある矢来能楽堂で能《隅田川》を観てきました。

《隅田川》は世阿弥の長男 観世十郎元雅(1394?~1432)の作品で、ベンジャミン・ブリテンが1956年に来日した時に鑑賞し、とても強く感動して、後にオペラ《カーリュー・リヴァー》(1964年)を創ったことでも良く知られている能です。

数年前、その《カーリュー・リヴァー》の公演を観る機会があり、元となった能《隅田川》も、是非、観てみたいなと思っていたので、今回やっと、その願いが叶いました。

Yaraigate《隅田川》の物語は、人買いにさらわれた幼き我が子(梅若丸)を探しに京から旅をしてきた母親が、隅田川を渡る舟の上で耳にした話から既に梅若丸は死んで隅田川のほとりの塚に葬られていることを知り、その塚を掘り起こそうとする母の前に梅若丸の霊が現れるという、とてもとても悲しいものです。
その筋書きばかりでなく、母親の狂わんばかりの悲しみが舞いと最小限の所作で表現される能の美しさに、私も深く感動しました。

Yaraientranceところで私、お能は10年くらい前に千駄ヶ谷の国立能楽堂(とても立派)に通って何度か観ているのですが、ちょっと、いえ、かなり敷居が高くて、すっかり足が遠のいていたのでした。(^^;
しかし、今回、縁あって出かけた矢来能楽堂の「のうのう能」は、上演前に物語や見所の解説をしてくださり、お客さんも一緒に謡の一節を歌ったり、普段はみられない能装束の着付けまで舞台上で見せてくれたりと、とても解りやすく興味深い趣向が凝らされていました。

Yaraistageそして、矢来能楽堂は観世喜之さんが所有されている昭和27年に再建された木造の建物で(敷地内に観世喜之さんのお宅もありました。)、普段は閉ざされている門が公演のある日には開かれ、しばらく続く小道の先の灯りのともった能楽堂の入り口で舞台関係者が丁寧に温かく迎え入れてくれる雰囲気が、これまた素晴らしく、舞台が始まる前から気分が高揚しました。
客席が300席と小ぢんまりとしているところも良かったです。

これをきっかけに、ぜひまた気軽に、お能にも足を運んでみたいと思いました。

  ◇  ◇  ◇

観世十郎元雅:能《隅田川》

シテ(梅若丸の母):観世貴正
子方(梅若丸の霊):遠藤瑤実
ワキ(隅田川の渡し守):館田善博
ワキツレ(旅の者):森常太郎

笛:小野寺竜一
小鼓:後藤嘉津幸  
大鼓: 安福光雄

後見:長沼範夫、遠藤和久
地謡:味方玄、古川充、佐久間二郎、坂真太郎

| | Comments (0)