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09 April 2013

《高野物狂》@国立能楽堂

Noh_april2013年4月6日(土)
国立能楽堂

宵の口には春の嵐がやってくるという怪しい雲行きのなか、しっかり雨支度をして千駄ヶ谷の国立能楽堂へ行ってきました。
この日、お天気がよければ、kimonoデビューの予定でしたが、雨と風の予報が出ていたので、きっぱり断念。ちょっぴり残念だったけど、慣れない装いに惑わされることなく、その分、舞台に集中することができました♪

まず最初は、2月の「のうのう能特別公演」で《舟渡聟》を見せてくださった野村万作さんと石田幸雄さんによる《富士松》。
息のあったお二人の狂言を、つづけて観られるとは、なんと幸運なことか!
しぐさよりも連歌を付け合う言葉遊びがメインの作品だったので、私に理解出来るかどうか、最初は心配でしたが、小気味良くテンポの上がってゆく掛け合いは、ロッシーニのオペラのようで、とても楽しかったです。
それにしても何ともしたたかな太郎冠者。だけど憎めないのですよね。

さて、休憩をはさんで上演された能《高野物狂》は、直面(ひためん)といって能面を使わない演目。
しかも(だから?)女の人は登場しない。ということは華やかな装束も期待出来そうにない。
う~む、私でも楽しめるかしら?と、またもや不安になったのですが、心配は無用でした。

題名が示すとおり、この作品は、主人亡きあと預かり育てていた遺児が忽然と姿を消してしまったため、従者が狂わんばかりの悲しみを抱え、あてのない旅に出たのち、高野山で再会を果たし、喜びあい、共に仏門にはいるという主君愛が描かれた男物狂能。

物狂とは言え、どこか抑制の効いた舞いからは、男の人の理性や秘めた苦しみが感じられ、それがかえって四郎の春満への強い思いとなり、こちらにも伝わって来るのでした。
そんな四郎の姿に気づいた春満が声をかける場面では思わず涙が・・・

ところで、能の後半は、小さな松の木を置くことで高野山であることを現わすという極めてシンプルな舞台装置。
なのに、たったそれだけで聖地の厳かな空気が漂ってくるから不思議です。
そして、四郎の装束も僧らの装束も決して色鮮やかなものではありませんでしたが、渋い色や格子柄なのに素材の質感や色の重ねがとても美しく、魅了されました。

また、四郎が持っていた笹の枝は、物狂をあらわしているのだとか。そういえば《隅田川》の梅若丸の母も笹の枝を持ってたよ~ そうか!能にもアトリビュート(持物)があるんだ!と知り、がぜん能鑑賞が面白くなりました。

それから、世阿弥は『風姿花伝』のなかで、直面について「これまた大事なり。自分の顔つきを変えて、それらしく演技するのは見られたものではない。」と言っています。
なるほど~ 四郎を演じた渡邊荀之助さんも高野山の僧を演じた福王和幸さんも、その表情は特にとりつくろったところがなく自然のままでした。
面はつけてないけど、役を演じるための面を素顔で演じるているような、うううう、なんだかややこしいけど、ここにも能ならではの醍醐味を感じたのでした。

春満を演じた、たった6歳の能楽師和久凛太郎くんも見事でした。
感動的な四郎との再会の場面まで、長時間、片膝を立てて座ったままの姿勢を保つのは、大人だって、相当大変なことだと思われるのに、最後の最後まで立派に演じ切っていました。
それにしても、凛太郎くんのまあるいホッペと明るい澄んだ声が、とっても可愛いらしかった。

   ◇  ◇  ◇

狂言《富士松》(和泉流)
シテ(太郎冠者):野村万作
アド(主):石田幸雄

能《高野物狂》(宝生流)
シテ(高師四郎):渡邊荀之助
子方(平松春満):和久凛太郎
ワキ(高野山の僧):福王和幸
ワキツレ(従僧):村瀬提
ワキツレ(従僧):村瀬慧
アイ(高師四郎の下人):竹山悠樹

笛:一噌庸二
小鼓:成田達志
大鼓:安福建雄

後見:高橋章、武田孝史
地謡:東川尚史、東川光夫、亀井雄二、小倉敏克、和久荘太郎、朝倉俊樹、小倉伸二郎、小倉健太郎

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