茨城県近代美術館「須田国太郎展」
お盆休みの最終日、水戸に行ってきました!
今年5月に亡くなられた音楽評論家の吉田秀和さんが館長を勤められていた水戸芸術館や茨城県近代美術館のことは以前から気になってはいたけれど、なかなか出かけてゆくチャンスのないまま月日だけが経ってしまいました。
そんな折、茨城県近代美術館で須田国太郎の大規模な回顧展が開かれていることを知り、それならばと思い切って足を運んでみました。
それにしても、水戸はやっぱり遠かったぁ~
さて、JR水戸駅から歩くこと約15分。
千波湖を望む高台に建つドッシリとした佇まいの茨城県近代美術館は、お盆休み中とは言え平日のためか来館者も疎らで、企画展も常設展もゆったりと観ることができました。
人混みが苦手な私にとっては最高の環境。須田国太郎の作品もジックリ鑑賞できました。
須田国太郎(1891〜1961)の主題を墨色のシルエットで前景に配し明るい背景で輪郭線を際立たせる手法や絵具を掻き削ったマチエールには惹かれるものがあり以前から好きな画家の一人でした。
しかし、私が知っていた須田作品といえば東京国立近代美術館に所蔵されている《犬》《法観寺塔婆》 《書斎》など代表作ばかり。今回はじめてスペイン留学時代の作品やエル・グレコ、ティツィアーノ、ゴヤなどの模写、色鮮やかな薔薇や里山の風景、鳥や動物と様々な主題に取り組んだ画家だったことが分かりました。
須田は京都帝国大学及び大学院で美学美術史を学ぶ側ら関西美術院でデッサンの勉強もし、当時、多くの画家が挙ってフランスのパリを目指していたにもかかわらず、留学先にはスペインのマドリードを選んだそうです。
私が竹橋で《書斎》を初めて目にした時、図像学的意味が織り込んでありそうなモチーフの扱いや画面構成が、制作された時世に反して何となくバロック的だなという印象を持ったのですが、スペインを拠点にヨーロッパ各地の美術館でたくさんの美術作品に接していたと知り、なるほど!やっぱりそうだったのか!と納得しました。
実は私、ひそかに左手前に描かれている薄緑色の物体は髑髏ではないかと思っています。髑髏と本と言えば西洋絵画ではヴァニタスを意味するお馴染みのモチーフ。けれど日本では受け入れられないだろうと考えて後から潰したように見えるのです。
それはさておき、須田は一時、制作以外の仕事で多忙を極め自ら危機を感じたこともあったようですが、40歳代半ばを過ぎたころから独自のスタイルが現れはじめ、その後の作品はどれも秀作揃い。とても見応えのある展覧会でした。
【画像】
《犬》1950年、東京国立近代美術館所蔵
《書斎》1937年、東京国立近代美術館所蔵