26 November 2009

豊郷小学校旧校舎の「ウサギとカメ」

Toyosato012002年冬、寒々とした校庭を舞台に、町長と、その町長の指示により強行に解体されかかった校舎を守ろうと人間バリケードをつくり、立てこもった住民との間で繰り広げられた騒動は、テレビ等メディアを通じて広く報道されたので覚えてらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

Toyosato02その当時、私は「あらあら大変!困った町長さんだわね。それにしても住民の熱意はスゴイなぁ、そこまでして残したい校舎なのかぁ。」程度の呑気な反応しか出来ず、背後に映っている薄汚れた校舎から感じるものも特にありませんでした。そして、報道が下火になると同時に、すっかり騒動のことも忘れてしまったのでした。勿論、その旧校舎がヴォーリズさんの手がけた名建築の一つだとは知る由もないまま。

Toyosato03結局、この「校舎改築問題」は、私の知らぬまに町長が方針を転換し新校舎を建設しながら旧校舎を保存することで決着。今回こうして私が豊郷小学校旧校舎を訪ねることが出来たのも、長年、保存運動を続けてくださった住民の皆さんの熱意と尽力のおかげだったのです。

   ◇  ◇  ◇

1937年(昭和12年)、卒業生の古川鉄治郎さん(1878〜1940)からの全額寄付により、ヴォーリズさんの設計で豊郷小学校旧校舎(当時は豊郷尋常高等小学校)は建てられました。

教室や廊下には温水暖房が設備され、理科室にはコックス配電装置とガス装置、職員室には各建物に通じる電話交換室、そして水洗式のトイレと最新の設備を整えた鉄筋コンクリート造りの校舎は、当時「東洋一の小学校」と言われたのだそうです。

また、廊下に柱が出っ張って通行の邪魔にならないようにと柱の面まで壁にし外壁との間に空間をつくって耐寒耐暑構造にしたり、図書館を別棟にし書庫の安全を図るなど、細やかな配慮の行き届いた校舎でした。

Toyosato04更に、ヴォーリズさんの設計の素晴らしいところは、そういった機能面ばかりでなく、子供達へ向けられた、さり気ない優しさが、あちこちに感じられることです。

階段に長いツルツルの手摺りがあれば滑り降りたくなるのが子供というもの。そこで、ヴォーリズさんは子供たちの安全を守るために手摺りの所どころにイソップの寓話を元にした「ウサギとカメ」の彫刻を設置しました。

Toyosato05すやすや昼寝をするウサギ、その隙にひたすら手摺りを登るカメ、なんて可愛いのでしょう♪

しかし、この豊郷小学校旧校舎のシンボルとも言うべき、この「ウサギとカメ」、一時、校舎から姿を消していたことがありました。
太平洋戦争勃発による物資不足のため「ウサギとカメ」はもちろん、古川鉄治郎さんの胸像、ボイラー設備や暖房設備などが供出で徴収されてしまったのです。

Toyosato06そんな「ウサギとカメ」が蘇ったのは昭和39年、豊郷小学校の近くに東海道新幹線がひかれた後でした。
ある日のこと、校舎建設中に現場監督を務めていた竹中工務店の神谷新一さんが開通したばかりの新幹線の車中で、ふと豊郷小学校のことを思い出しました。そして27年ぶりに小学校を訪れたところ、階段の手摺りに光っているはずの「ウサギとカメ」がなくなっていたのです。
そこで神谷さんは、古い資料の中から設計図と型を探し出し、何と自費で復元してくださったのだそうです。

Toyosato072004年には隣接した敷地に立派な新校舎も完成し、小学校校舎としての役割を終えた建物は、現在、町立図書館などの入いる複合施設として再び活用されています。

豊郷町は決して交通の便が良いとは言えない所です。
けれど、未来を担う子供達や町を大切に思う多くの人々から愛され守られてきた美しい建物を拝見することができ、はるばる訪ねて本当に良かったと思いました。

   ◇  ◇  ◇

豊郷町立豊郷小学校旧校舎
(旧豊郷尋常高等小学校)
1937年(昭和12年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県犬上郡豊郷町石畑518

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22 November 2009

近江商人の街並み

Omi_hachiman01近江八幡の街には、ヴォーリズ建築ばかりではなく、天正13年(1585年)豊臣秀次が八幡山に築城した際に開かれた城下町を基に、その後、近江商人の町として栄えた街並みや、交通運輸として重要な役割を果たした堀が現在も残されています。

Omi_hachiman02近江八幡の町家は軒下の壁に貫が見える中二階建てが多く、それが他には例のないデザインの特徴になっているそうです。
特に平成3年に「国重要伝統的建造物群保存地区」に選定された地域は道の両側に古い立派な商家が軒を連ねていて、電柱や電線がないためか、街並みの美しさがとても際立っていました。
何だか洋服を着て歩いてる自分に違和感を覚えてしまったほど。

Omi_hachiman03ところで、この界隈、ピタッと戸や窓を閉ざした家がほとんどで、現在は商売をしている様子も感じられず、住人の姿を見かけることもなかったので、ここで生活する人は色々と制約があって大変そうだなと、ちょっと心配になってしまいました。

Omi_hachiman04また、古い建物や街並みを保存することのみが優先され、そこが単なる博物館的な屋外展示場になってしまっては、あまりよろしくないのではないかなとも感じました。
かと言って、お土産屋さんばかりが軒を連ねるようになっても困っちゃうし、歴史的建造物保存は本当に難しそうですね。

Omi_hachiman05でも、戦後、住民から忘れ去られ一時はドブ川と化していた八幡堀を「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる。」という近江八幡青年会議所の呼びかけにより復元再生させたほどの街なので、これからも歴史と伝統を良い形で伝えていってくださるに違いありません。

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10 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その3

Omihachiman11大正時代、池田町の約1千坪の敷地内にヴォーリズさんの設計による建物が並んで建てられました。

ヴォーリズさんの商業学校英語教師時代の教え子で、その後、キリスト教活動のパートナーになった吉田悦蔵さんの住宅、ウォーターハウス邸、ヴォーリズ邸(非現存)、二戸一住宅になっている近江ミッション・ダブルハウスの4棟です。

Omihachiman10現在も、そのうちの3棟と塀や門が残っていて「池田町洋風住宅街」と呼ばれています。

住宅を囲んでいるレンガ積みの塀も、とても良い雰囲気です。当時はレンガも手焼きだったので、くびれたり膨らんだりと焼き損じのレンガが出ると、ヴォーリズさんは塀などに再活用したのだそうです。
不揃いだけど、それが、かえって良い味になっていますね。

Omihachiman12ウォーターハウス記念館
(旧ウォーターハウス邸)
1913年(大正2年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市池田町5

旧近江ミッション・ダブルハウス
1921年(大正10年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市池田町5

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman13大阪朝日新聞社で活躍した忠田兵造さんが後半生の住まいとして郷里に建てた住宅です。

現在は、たねやグループが経営する和・洋菓子の総合店舗として再生され、ヴォーリズ建築内特別室として利用できるようです。
こんなステキなお部屋で、クラブハリエのバームクーヘン食べてみた〜い♪

クラブハリエ日牟禮館(旧忠田邸)
1936年(昭和11年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市宮内町243日牟禮ヴィレッジ

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09 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その2

Omihachiman05かつてはヴォーリズさんの住まいだったヴォーリズ記念館は、シンプルな箱型のどちらかと言えば地味な外観。
限られたスペースを無駄なく活用した造りからはヴォーリズさんの理念が感じられ、簡素ではあるけれど使い込まれた家具やアップライトのピアノなど、そこにあるもの全てが美しく調和した、穏やかな雰囲気の住まいでした。
本棚の中には沢山のヴォーリズさんの蔵書が今もそのまま残されていて、ふと振り返れば、椅子に腰掛け読書しているヴォーリズさんに今でも会えそうな、そんな空間でした。

ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸)
1931年(昭和6年)
滋賀県近江八幡市慈恩寺町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman06旧岩瀬医院&岩瀬邸は、個人所有の建物なので外観のみ拝見。
診療所の並びの邸宅もヴォーリズさんの設計だったのですが、外観が純和風だったので、そうとは気づかず撮影し忘れてしまいました。
そんな訳で写真は医院部分のみ。いかにも診療所らしい清潔な外観ですね。中も当時のまま残っているのかな?

村岡邸(旧岩瀬医院&岩瀬邸)
1933年(昭和8年)
滋賀県近江八幡市永原町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman07玄関を入って右側の部屋は内装や家具だけでなくネジ巻きの蓄音機など面白そうなものが沢山残されていて興味津々。
一方、入って左側の部屋は近頃の素材を使った修復がされているようで、ちょっぴり残念。
外回りも、きれい過ぎるくらい良く手入れがされていました。

近江兄弟社アンドリュース記念館
(旧近江八幡YMCA会館)
1935年(昭和10年)
滋賀県近江八幡市為心町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman08近江八幡教会のすぐ目の前にある牧師館。
もともとは寮だったので、かなり大きな建物です。もちろん現在も使われているので、私が訪ねた時も玄関先で二人のご婦人が、かなり長い間立ち話をされていました。
そういう訳で、本当は玄関周辺を撮りたかったのだけど断念。
ちなみに教会も、かつては1924年に建てられたヴォーリズ建築でしたが、火災で焼失後、別の建物に建替えられたのだそうです。

日本基督教団近江八幡教会牧師館
(旧近江兄弟社地塩寮)
1924年頃?(昭和初期)
滋賀県近江八幡市為心町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman09YMCA派遣教師として来日したヴォーリズさんが英語教師として勤めた旧八幡商業学校の本館。
ヴォーリズさんは着任して間もなくバイブルの勉強会を開き、生徒達の心をつかんでしまったことが、かえって地元町民や他宗教の反発を呼んでしまい、僅か2年あまりで解任されてしまったのだそうです。
後年、そんな苦い思い出のある学校の設計をも引き受けてしまうところが、さすがヴォーリズさんですね!
直線を活かしたシャープなファサードが印象的。
玄関周辺のデザインも、さり気なくアールデコ調だったのには感心させられました。

滋賀県立八幡商業高等学校本館
(旧滋賀県立八幡商業学校本館)
1940年(昭和15年)
滋賀県近江八幡市宇津呂町

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08 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その1

Omihachiman01ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)が1905年(明治38年)に24歳で来日して以来、活躍の拠点として生涯のほとんどをすごし、現在も建築ばかりでなく多くの功績の残っている近江八幡で、10月3日から11月3日まで開催された「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展 in 近江八幡」へ行ってきました。

ヴォーリズさんに関する展示を近江八幡市内に現存しているヴォーリズ建築に分散展示し、街を散策しながら、様々な角度から迫ったヴォーリズさんの横顔に触れることのできる画期的な展覧会でした。

また、公式ガイドブックに載っているモデルコースに従って街を巡っていけば、初めてこの街を訪れた私のような不慣れなものでも効率よくヴォーリズ建築をまわることができ、大助かりでした。

そして、各々の会場で案内役を務めてくださった市民ボランディアの方々と言葉を交わしたり、説明をしていただいているうちに、街の人々がヴォーリズさんに対して親しみや慈しみの気持ちを持ち続け、誇りに思っていらっしゃることが、とても強く伝わってきました。

Omihachiman02そんな、今もヴォーリズさんの息づいている街を、私もタイムスリップした気分で、のんびりと楽しく散策させていただきました。

一番最初は「旧八幡郵便局舎」。
小さいながらも、とてもエキゾティックな外観が印象的な建物でした。

Omihachiman04内部には、作り付けの木製カウンターや引き出しが当時のまま残っていて、細かな植物模様の刻まれたガラスが、とても繊細でステキでした。

Omihachiman03
次は「近江兄弟社学園ハイド記念館」。
近江兄弟社学園は、ヴォーリズ夫人の満喜子さんが開いた保育施設「清友園」から始まった現在は保育園から高等学校までが併設された学校で、私が訪ねた日は休日だったのですが、クラブ活動で登校していた生徒さんが爽やかな挨拶を、ごく自然にしてくださったのが、とても気持ちよかったです。
階段の下に引き出しが設けられていたり、小さな子供たち一人一人のための木製ロッカーなど、とても細やかな配慮の行き届いた、優しさにあふれた美しい建物でした。

   ◇  ◇  ◇

旧八幡郵便局舎
1921年(大正10年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市仲屋町

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近江兄弟社学園ハイド記念館
1931年(昭和6年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市市井町

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28 October 2009

雨にけむる三千院

叡山電車で出町柳駅に着くと、外は激しい雨。
あぁ、やっぱり天気予報どおりになってしまった。(^^;;
雨宿りをしないと、ずぶ濡れなってしまいそうなくらい降っています。

次に目指すは大原。
バスに乗ってしまえば濡れずにすむのだけどな・・・

Sanzenin01大分遅れて京都バス17番がやってきました。
やれやれ、一安心です。
そして、一時間足らずの小旅行のはじまりです♪

しばらく高野川沿いを走ったバスは間もなく山の中に入り、激しく車体を揺らしながら雨の坂道を駆け上ってゆきました。そんなに急がなくてもいいのに・・・なんて思いながら車窓に広がる風景を眺めていると、バスは終点の大原に到着。一向に納まらない雨の中、また外に放り出されてしまったのでした。

Sanzenin02

三千院へと続く細い坂道は、流れる雨水が、まるで川のよう。ユルスナールの靴を真似て手に入れたストラップ付きの革製ウォーキング・シューズは、もう中までグッショリです。(涙)
兎に角ここまで来たら黙々と進むしかありません。

Sanzenin03どのくらい歩いたでしょう?
やっと辿り着いた三千院は、まさに救いの場でした。

受付をすませ、幾重にも折れ曲がる廊下を進んで、まず「客殿」や「聚碧園」を拝見させていただきました。
そして、更に、その先の「宸殿」へと続く渡り廊下を、渡りきったその瞬間でした。

私は、目の前に広がった景色に圧倒されて、一歩も前に進めなくなってしまったのです。

すごい・・・ 

Sanzenin05ふっくらと瑞々しく膨らんだ苔の輝くような明るい緑。
見上げるほどに大きな杉の樹々。
折り重なる木の葉が作り出す影。
そして、それらをすっぽりと包み込む雨だれ。

きれい!
何てきれいなんだろう。

Sanzenin06雨にけむる「有清園」です。

しばらくして、やっと我に返り、ゆっくり縁側を進んでみると、今度は先ほどまで樹の陰に隠れていたお堂が姿を現しました。
「往生極楽院」です。

Sanzenin07お堂からもれ聴こえる読経は雨音と程よく調和し、宗教心のかけらも持ち合わせない私ですが、あまりの心地よさに暫し時の経つのも忘れてしまいました。

雨が降ると、ついつい出かけるのが億劫になってしまいがちな私ですが、今回、雨だからこそ味わえるもののあることを知り、考えを改めました。(^^;;;

「雨の三千院」
素晴らしい出会いでした。

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26 October 2009

心落ちつく「駒井家住宅」

Komaike01東寺を出る頃には、朝から降り続いていた雨もあがり空も明るくなってきました♪

天気予報では確か今日は一日中雨で、午後には、かなり激しくなると言ってたけど・・・

うふふ(^^)私の晴れ女パワーが効いてきたかな?と(いい気なもんだ(^^;;;)足取りも軽く、次の目的地、北白川へ向かうことにしました。

北大路で地下鉄からバスに乗り換え着いたのは、円熟期のヴォーリズさんが手がけた駒井家住宅。
それは白川疎水周辺に広がる緑豊かで閑静な住宅街にありました。

Komaike02半分開いていた小さな門から、そっと中へ入ると、すぐにスパニッシュ風アーチで飾られた玄関が見えます。
そして、そこに立った瞬間、横浜や神戸などに残る西洋式住宅とは何となく雰囲気の違うことに気がつきました。

Komaike03その理由は、ゆっくり建物の中を拝見させていただくうちに解ってきました。

まず、その一つが使われているスケールです。
実際に測ってみた訳でも図面を見た訳でもないので、あくまで私の勘ですが(^^; この住宅は西洋風な意匠だけれど使われた寸法は従来の日本のものだったのではないかと感じました。
もう一つは、過度の贅沢品や華美なものが一つもないこと。

Komaike04ヴォーリズ住宅に欠くことのできない暖炉すらありません。(暖炉と洋瓦は、周囲の景観に配慮した施主の希望により取り入れなかったのだそうです。)

だからでしょうか? あふあふと慌てて到着したにも関らず、その空間に身を置いた途端、我が家に帰ったような、すっと心落ちつくものを感じました。

Komaike05この住宅の施主である駒井卓さん(1886~1972)は、ダーウィンの研究でも知られている理学博士。京都大学で教鞭もとられていたそうです。

「日常生活の使用に対して、住み心地のよい、健康を守るに良い能率的建物を要求する熱心なる建築依頼者の需に応じて、吾々はその意をよく汲む奉仕者となるべきである。」というヴォーリズさんの建築理念に共感したことや、夫人の静江さんとヴォーリズ夫人の満喜子さんが神戸女学院の同窓生だった縁もあり、設計をお願いしたそうです。

Komaike06教え子など大勢の来客にも対応できる居間、庭に面したサンルーム、博士の書斎、窓から比叡山をはじめ周囲の山々が一望できる寝室など、どの部屋も、とても居心地が良さそうでした。

Komaike07_2また、作り付けの家具、腰掛の下の引き出し、機械仕掛けの梯子で登れる屋根裏収納、階段下のスペースを利用したトイレ等、細やかな工夫が随所にみられ、機能的にも優れた住宅だったことが解りました。

Komaike08庭には、ヴォーリズさんの設計ではありませんが書生さんの為の離れや小さな温室も残っていて、決して広いとは言えないスペースですが、博士が住まわれていた当時の雰囲気そのままを伝えているのではないかと思われました。

カメラ片手に住宅や温室を出たり入ったりしているうちに、あっ、また雨が・・・(^^;;;

復路は茶山駅から叡山電車に乗って出町柳まで戻りました。

   ◇  ◇  ◇

駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)
1927年(昭和2年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市左京区北白川伊織町64番地

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25 October 2009

東寺は仏像がすごい

Toji01京都二日目は朝から雨・・・
晴れでも日傘、雨なら雨傘。
大した違いはないさと、ピチピチ♪チャプチャプ♪ 朝の東寺へ出かけてみました。

京都駅から大よその見当をつけて歩き出すと程なく大きな五重塔が見えてきました。さすが日本で一番高い五重塔!
これなら迷子になりませんね。(^^)

Toji02東寺(教王護国寺)は794年(延暦13年)平安遷都の時に桓武天皇によって造営されたお寺だそうで、広い伽藍の雰囲気が奈良のお寺に似ているなと感じたのもそのせいかな?
五重塔はもちろん、南大門、金堂、講堂、どれも大きくて、カメラのファインダーに全体を入れるには下がって下がって下がらないと納まらないのでありました。(^^;;;

Taishakuten

東寺の本格的な活動が始まったのは、823年(弘仁14年)に弘法大師空海が真言密教の道場としてからで、現在も仏像、仏画など密教美術の宝庫なのだそうです。

早速、金堂や講堂に入ってみると、ほんと、すご〜い!仏像がいっぱい♪
そういえば、一日目に巡ったお寺では仏像は一体も拝見しなかったかも?(^^;;;

Tobatsu_bishamontenまずはじめに、拝観受付に近い講堂から。
立体曼荼羅と称される堂内の中は、大日如来さまを中心に21軀もの仏像が所狭しと並んでいます。
とにかく壮観です。圧倒されました。
なかでも象さんにまたがった帝釈天さまの凛々しく美しいこと。惚れました。(^^)

次にまわった金堂には、本尊の薬師如来と両脇の日光、月光菩薩が納められていて、昨年、奈良を旅してから仏像を拝見する楽しさに開眼してしまった仏像ビギナーの私ですが、熱心に本尊に祈りを捧げていらっしゃる方のお邪魔をしないよう、こちらでも、じっくりと鑑賞させていただきました。(^^)

Toji03仏像があるのは、お堂だけではありません。宝物館もすごいです。
ちょうど2009年秋期特別公開「東寺曼荼羅の美」展が開催されていて、平安時代から江戸時代におよぶ40点近い曼荼羅図や仏像を拝見することができました。

中でもステキだったのが兜跋(とばつ)毘沙門天立像♪
まさか、ここで、お目にかかれるとは思いませんでした。(^^)
奈良国立博物館にも、まるで兄弟のようにそっくりな兜跋毘沙門天立像が所蔵されているのですが、このスラリとした立ち姿が大好きです。

Toji04ここまででも充分すぎるくらい東寺の素晴らしさを満喫できたのですが、折角なので、北大門を出たところにある「観智院」も拝見させて頂くことにしました。

1308年(徳治3年)後宇多法皇が東寺に帰依し真言教学を研鑽されていた頃、優秀な学僧が多く輩出され、その中の一人杲宝(ごうほう)によって創建されたのが観智院なのだそうです。

Toji051605年(慶長10年)に再建された客殿は桃山時代書院造り。
弘法大師空海が唐から船で帰国する際、海であった難を海神に守られ無事切り抜けた様子と、五大虚空蔵菩薩像を現している「五大の庭」は、砂紋も荒々しく動的で、前日、観たばかりの龍安寺の石庭とはまるで対照的だったのが面白かったです。

ほかにも宮本武蔵の描いた襖画、唐の青龍寺の本尊だった唐時代の彫刻「五大虚空蔵菩薩像」、江戸時代の「愛染明王像」と見所がいっぱいでした。

すっかり忘れてしまったのが、大師堂と弘法大師像。必ず何か一つ大切なものを見損ねてしまう、おっちょこちょいな私。(^^;;;
もう一度いらっしゃいということかしら?

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22 October 2009

夕暮れの「大丸ヴィラ」

Daimaru_villa01同志社大学のキャンパスで、私は一体どのくらいの時間をすごしたのだろう?
あっちをウロウロ、こっちをキョロキョロ、もう随分沢山の建物を観たつもりになっていたけれど、あくまで、それは今出川通りに面したほんの一部。
さらに奥へと進めば、「同志社礼拝堂」「彰栄館」「ハリス理化学館」「クラーク記念館」と、まだまだ沢山の重要文化財級建築があるのです。

しかし、ふと気がつくと、頬にあたる風も冷たくなり、太陽も建物の影に隠れ始めていました。

Daimaru_villa02ああ、困ったな。
どうしても、今日中に見ておきたいヴォーリズさんの建物が、もう一つあったんだ!
陽が暮れるまでに間に合うだろうか?


う~ん、悩む。
でも、悩んでいる場合じゃない。
仕方ない、同志社は次の機会に、またお邪魔させていただくことにしよう!

Daimaru_villa06そうと決まったら早いです。
今出川から丸太町に向かって京都御苑を左手に見ながら、とっとこ歩き出しました。
本当は、京都御苑の中を、のんびり歩きたかったのです。でも、私のことだから、またきっとキョロキョロしちゃいそうだったので諦めました。(^^;;;

そして、道すがら現れた日本聖公会の「聖アグネス教会」や平安女学院の建物に寄り道したい気持ちも何とか抑え、まだ見ぬヴォーリズさんに向かって脇目もふらず(^^;;;ひたすら歩いたのでした。

Daimaru_villa04すると右手前方に、煉瓦を独特に積み上げた高い塀が見えてきました。
あ、これだ!この積み方はヴォーリズさんに違いない!間に合った~
何とか暗くなる前に到着です。(^^)

木製の大きな門の装飾窓を覗いてみると、京都に居ることを一瞬忘れてしまいそうなチューダー様式の洋館が建ってます。
以前、winter-cosmosさんのブログ「緑の森を楽しく歩いた」で拝見した時から、京都に行ったら必ずや訪ねてみたいと思っていた「大丸ヴィラ」です。(^^)

Daimaru_villa05もともとは大丸さんを創業した下村家の邸宅として建てられましたが、現在は株式会社大丸が所有しているそうです。

非公開のため、高い塀と固く閉ざされた門と大きな樹に囲まれた建物に接近することは出来ませんが、いつもの如く、背伸びをしカメラを中に差し込む裏技で撮影させていただきました。(^^;;; スミマセン・・・

ところで、京都御苑周辺のあちこちで、藤袴の鉢植えが飾られているのを多く見かけました。
近年、絶滅の危機に曝されている野生種の藤袴を守ろうというプロジェクトなのだそうです。

守ろう!藤袴プロジェクト

わが家の庭にも赤紫色の藤袴はありますが、野生種の淡い紫色の藤袴は初めて見ました。そこはかとなく素朴でステキです。
大丸ヴィラの門の前にも飾られていたので、パチリ!(^^)

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大丸ヴィラ(旧下村邸)
1932年(昭和7年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
京都市上京区烏丸通丸太町上ル春日町

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21 October 2009

同志社女子大学「ジェームズ館」

Doshisha_james01同志社女子大学の中心となる栄光館の並びに、外観はシンプルではあるけれど何故だかとても気になる建物がありました。

建物側面の扉が大きく開け放されていたので中をのぞかせていただくと、清潔感ある白漆喰の壁や良く磨かれツヤツヤと光る木製の扉や階段、柔らかな光が窓から差し込む廊下の何と優しく暖かで美しいこと! しばらく、ぼおっと見とれてしまいました。

Doshisha_james02

その建物は、同志社女子大学ジェームズ館。栄光館と同じ武田五一(1872~1938)の設計による建築です。

Doshisha_james03武田五一は関西建築界の父と言われるほど著名な建築家だったそうで(知らなかった(^^;;;)生涯に150もの建物を設計しましたが、今ではそのほとんどが取り壊されてしまい、完全な形で残っている最も古い煉瓦造りの建築が、このジェームズ館なのだそうです。

Doshisha_james04武田五一は、同志社に負けない「同女コンパウンド」として、栄光館を真ん中に、両隣りにほぼ同じデザインの旧静和館とジェームズ館を配するという、統一感ある全体計画をしました。
そして、その効果は現在でも抜群に発揮されているなと感じました。

Doshisha_james05また、今出川通りを挟んで、すぐ南側に京都御所、すぐ北側に相国寺という立地にも配慮し、装飾は控えめにし、京都の街並みとの調和も考えて、屋根は和瓦で葺いたのだそうです。

Doshisha_james06そうは言っても、当時、こんなに立派な煉瓦造りの講堂や教室を持つ女学校は他にはなく、女子教育の最先端プロジェクトだったことに間違いはなさそうです。

同志社女子大学のHPには「ジェームズ館探訪」という立派なページもあり、この建物が長く大切に使われてきた同女の誇りであることが、うかがえます。


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同志社女子大学ジェームズ館
登録有形文化財
1914年(大正3年)
設計:武田五一
京都市上京区今出川寺町西入玄武町

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