« October 2009 | Main | December 2009 »

26 November 2009

豊郷小学校旧校舎の「ウサギとカメ」

Toyosato012002年冬、寒々とした校庭を舞台に、町長と、その町長の指示により強行に解体されかかった校舎を守ろうと人間バリケードをつくり、立てこもった住民との間で繰り広げられた騒動は、テレビ等メディアを通じて広く報道されたので覚えてらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

Toyosato02その当時、私は「あらあら大変!困った町長さんだわね。それにしても住民の熱意はスゴイなぁ、そこまでして残したい校舎なのかぁ。」程度の呑気な反応しか出来ず、背後に映っている薄汚れた校舎から感じるものも特にありませんでした。そして、報道が下火になると同時に、すっかり騒動のことも忘れてしまったのでした。勿論、その旧校舎がヴォーリズさんの手がけた名建築の一つだとは知る由もないまま。

Toyosato03結局、この「校舎改築問題」は、私の知らぬまに町長が方針を転換し新校舎を建設しながら旧校舎を保存することで決着。今回こうして私が豊郷小学校旧校舎を訪ねることが出来たのも、長年、保存運動を続けてくださった住民の皆さんの熱意と尽力のおかげだったのです。

   ◇  ◇  ◇

1937年(昭和12年)、卒業生の古川鉄治郎さん(1878〜1940)からの全額寄付により、ヴォーリズさんの設計で豊郷小学校旧校舎(当時は豊郷尋常高等小学校)は建てられました。

教室や廊下には温水暖房が設備され、理科室にはコックス配電装置とガス装置、職員室には各建物に通じる電話交換室、そして水洗式のトイレと最新の設備を整えた鉄筋コンクリート造りの校舎は、当時「東洋一の小学校」と言われたのだそうです。

また、廊下に柱が出っ張って通行の邪魔にならないようにと柱の面まで壁にし外壁との間に空間をつくって耐寒耐暑構造にしたり、図書館を別棟にし書庫の安全を図るなど、細やかな配慮の行き届いた校舎でした。

Toyosato04更に、ヴォーリズさんの設計の素晴らしいところは、そういった機能面ばかりでなく、子供達へ向けられた、さり気ない優しさが、あちこちに感じられることです。

階段に長いツルツルの手摺りがあれば滑り降りたくなるのが子供というもの。そこで、ヴォーリズさんは子供たちの安全を守るために手摺りの所どころにイソップの寓話を元にした「ウサギとカメ」の彫刻を設置しました。

Toyosato05すやすや昼寝をするウサギ、その隙にひたすら手摺りを登るカメ、なんて可愛いのでしょう♪

しかし、この豊郷小学校旧校舎のシンボルとも言うべき、この「ウサギとカメ」、一時、校舎から姿を消していたことがありました。
太平洋戦争勃発による物資不足のため「ウサギとカメ」はもちろん、古川鉄治郎さんの胸像、ボイラー設備や暖房設備などが供出で徴収されてしまったのです。

Toyosato06そんな「ウサギとカメ」が蘇ったのは昭和39年、豊郷小学校の近くに東海道新幹線がひかれた後でした。
ある日のこと、校舎建設中に現場監督を務めていた竹中工務店の神谷新一さんが開通したばかりの新幹線の車中で、ふと豊郷小学校のことを思い出しました。そして27年ぶりに小学校を訪れたところ、階段の手摺りに光っているはずの「ウサギとカメ」がなくなっていたのです。
そこで神谷さんは、古い資料の中から設計図と型を探し出し、何と自費で復元してくださったのだそうです。

Toyosato072004年には隣接した敷地に立派な新校舎も完成し、小学校校舎としての役割を終えた建物は、現在、町立図書館などの入いる複合施設として再び活用されています。

豊郷町は決して交通の便が良いとは言えない所です。
けれど、未来を担う子供達や町を大切に思う多くの人々から愛され守られてきた美しい建物を拝見することができ、はるばる訪ねて本当に良かったと思いました。

   ◇  ◇  ◇

豊郷町立豊郷小学校旧校舎
(旧豊郷尋常高等小学校)
1937年(昭和12年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県犬上郡豊郷町石畑518

|

22 November 2009

近江商人の街並み

Omi_hachiman01近江八幡の街には、ヴォーリズ建築ばかりではなく、天正13年(1585年)豊臣秀次が八幡山に築城した際に開かれた城下町を基に、その後、近江商人の町として栄えた街並みや、交通運輸として重要な役割を果たした堀が現在も残されています。

Omi_hachiman02近江八幡の町家は軒下の壁に貫が見える中二階建てが多く、それが他には例のないデザインの特徴になっているそうです。
特に平成3年に「国重要伝統的建造物群保存地区」に選定された地域は道の両側に古い立派な商家が軒を連ねていて、電柱や電線がないためか、街並みの美しさがとても際立っていました。
何だか洋服を着て歩いてる自分に違和感を覚えてしまったほど。

Omi_hachiman03ところで、この界隈、ピタッと戸や窓を閉ざした家がほとんどで、現在は商売をしている様子も感じられず、住人の姿を見かけることもなかったので、ここで生活する人は色々と制約があって大変そうだなと、ちょっと心配になってしまいました。

Omi_hachiman04また、古い建物や街並みを保存することのみが優先され、そこが単なる博物館的な屋外展示場になってしまっては、あまりよろしくないのではないかなとも感じました。
かと言って、お土産屋さんばかりが軒を連ねるようになっても困っちゃうし、歴史的建造物保存は本当に難しそうですね。

Omi_hachiman05でも、戦後、住民から忘れ去られ一時はドブ川と化していた八幡堀を「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる。」という近江八幡青年会議所の呼びかけにより復元再生させたほどの街なので、これからも歴史と伝統を良い形で伝えていってくださるに違いありません。

|

19 November 2009

アルバン・ベルク《ヴォツェック》@新国立劇場

Wozzeck2009年11月18日(水)
新国立劇場 オペラ劇場

とても楽しみにしていた《ヴォツェック》を観てきました。

舞台全面に張られた水。
その水面に映りこむモノトーンのキューブ。
ぽたぽたと落ちる雨だれの音。
ゆらゆらと光る波紋。

とても悲しいお話なのだけど、とても美しい舞台でした。
そして、何よりもベルクの音楽が素晴らしかった。

部屋の隅の小さな磔刑図。
マリーの子によって、その磔刑図に打ちつけられた人形。
背後で繰り広げられる群集たちの様々なマイム。
一度観ただけでは、その演出全体を把握するのは、ちょっと無理のようです。時間が許せば、もう一度、観たいくらい。

若杉さんに代わって指揮台に立ったハルトムート・ヘンヒェンさんと東フィルも良かったし、歌もヴォツェックのトーマス・ヨハネス・マイヤーさんをはじめ、みなさん、役柄に良くあった素晴らしい歌を聴かせてくれました。
そして、この舞台では、マリーの子が、とても重要な役割を果たしていました。
彼が壁に残した落書き"PAPA"の文字が忘れられません。

   ◇  ◇  ◇

アルバン・ベルク《ヴォツェック》

指揮:ハルトムート・ヘンヒェン
演出:アンドレアス・クリーゲンブルク

ヴォツェック:トーマス・ヨハネス・マイヤー
鼓手長:エンドリック・ヴォトリッヒ
アンドレス:高野二郎
大尉:フォルカー・フォーゲル
医者:妻屋秀和
第一の徒弟職人:大澤 建
第二の徒弟職人:星野 淳
マリー:ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン
マルグレート:山下牧子

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

|

10 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その3

Omihachiman11大正時代、池田町の約1千坪の敷地内にヴォーリズさんの設計による建物が並んで建てられました。

ヴォーリズさんの商業学校英語教師時代の教え子で、その後、キリスト教活動のパートナーになった吉田悦蔵さんの住宅、ウォーターハウス邸、ヴォーリズ邸(非現存)、二戸一住宅になっている近江ミッション・ダブルハウスの4棟です。

Omihachiman10現在も、そのうちの3棟と塀や門が残っていて「池田町洋風住宅街」と呼ばれています。

住宅を囲んでいるレンガ積みの塀も、とても良い雰囲気です。当時はレンガも手焼きだったので、くびれたり膨らんだりと焼き損じのレンガが出ると、ヴォーリズさんは塀などに再活用したのだそうです。
不揃いだけど、それが、かえって良い味になっていますね。

Omihachiman12ウォーターハウス記念館
(旧ウォーターハウス邸)
1913年(大正2年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市池田町5

旧近江ミッション・ダブルハウス
1921年(大正10年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市池田町5

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman13大阪朝日新聞社で活躍した忠田兵造さんが後半生の住まいとして郷里に建てた住宅です。

現在は、たねやグループが経営する和・洋菓子の総合店舗として再生され、ヴォーリズ建築内特別室として利用できるようです。
こんなステキなお部屋で、クラブハリエのバームクーヘン食べてみた〜い♪

クラブハリエ日牟禮館(旧忠田邸)
1936年(昭和11年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市宮内町243日牟禮ヴィレッジ

|

09 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その2

Omihachiman05かつてはヴォーリズさんの住まいだったヴォーリズ記念館は、シンプルな箱型のどちらかと言えば地味な外観。
限られたスペースを無駄なく活用した造りからはヴォーリズさんの理念が感じられ、簡素ではあるけれど使い込まれた家具やアップライトのピアノなど、そこにあるもの全てが美しく調和した、穏やかな雰囲気の住まいでした。
本棚の中には沢山のヴォーリズさんの蔵書が今もそのまま残されていて、ふと振り返れば、椅子に腰掛け読書しているヴォーリズさんに今でも会えそうな、そんな空間でした。

ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸)
1931年(昭和6年)
滋賀県近江八幡市慈恩寺町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman06旧岩瀬医院&岩瀬邸は、個人所有の建物なので外観のみ拝見。
診療所の並びの邸宅もヴォーリズさんの設計だったのですが、外観が純和風だったので、そうとは気づかず撮影し忘れてしまいました。
そんな訳で写真は医院部分のみ。いかにも診療所らしい清潔な外観ですね。中も当時のまま残っているのかな?

村岡邸(旧岩瀬医院&岩瀬邸)
1933年(昭和8年)
滋賀県近江八幡市永原町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman07玄関を入って右側の部屋は内装や家具だけでなくネジ巻きの蓄音機など面白そうなものが沢山残されていて興味津々。
一方、入って左側の部屋は近頃の素材を使った修復がされているようで、ちょっぴり残念。
外回りも、きれい過ぎるくらい良く手入れがされていました。

近江兄弟社アンドリュース記念館
(旧近江八幡YMCA会館)
1935年(昭和10年)
滋賀県近江八幡市為心町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman08近江八幡教会のすぐ目の前にある牧師館。
もともとは寮だったので、かなり大きな建物です。もちろん現在も使われているので、私が訪ねた時も玄関先で二人のご婦人が、かなり長い間立ち話をされていました。
そういう訳で、本当は玄関周辺を撮りたかったのだけど断念。
ちなみに教会も、かつては1924年に建てられたヴォーリズ建築でしたが、火災で焼失後、別の建物に建替えられたのだそうです。

日本基督教団近江八幡教会牧師館
(旧近江兄弟社地塩寮)
1924年頃?(昭和初期)
滋賀県近江八幡市為心町

   ◇  ◇  ◇

Omihachiman09YMCA派遣教師として来日したヴォーリズさんが英語教師として勤めた旧八幡商業学校の本館。
ヴォーリズさんは着任して間もなくバイブルの勉強会を開き、生徒達の心をつかんでしまったことが、かえって地元町民や他宗教の反発を呼んでしまい、僅か2年あまりで解任されてしまったのだそうです。
後年、そんな苦い思い出のある学校の設計をも引き受けてしまうところが、さすがヴォーリズさんですね!
直線を活かしたシャープなファサードが印象的。
玄関周辺のデザインも、さり気なくアールデコ調だったのには感心させられました。

滋賀県立八幡商業高等学校本館
(旧滋賀県立八幡商業学校本館)
1940年(昭和15年)
滋賀県近江八幡市宇津呂町

|

08 November 2009

ヴォーリズ展 in 近江八幡 その1

Omihachiman01ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)が1905年(明治38年)に24歳で来日して以来、活躍の拠点として生涯のほとんどをすごし、現在も建築ばかりでなく多くの功績の残っている近江八幡で、10月3日から11月3日まで開催された「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展 in 近江八幡」へ行ってきました。

ヴォーリズさんに関する展示を近江八幡市内に現存しているヴォーリズ建築に分散展示し、街を散策しながら、様々な角度から迫ったヴォーリズさんの横顔に触れることのできる画期的な展覧会でした。

また、公式ガイドブックに載っているモデルコースに従って街を巡っていけば、初めてこの街を訪れた私のような不慣れなものでも効率よくヴォーリズ建築をまわることができ、大助かりでした。

そして、各々の会場で案内役を務めてくださった市民ボランディアの方々と言葉を交わしたり、説明をしていただいているうちに、街の人々がヴォーリズさんに対して親しみや慈しみの気持ちを持ち続け、誇りに思っていらっしゃることが、とても強く伝わってきました。

Omihachiman02そんな、今もヴォーリズさんの息づいている街を、私もタイムスリップした気分で、のんびりと楽しく散策させていただきました。

一番最初は「旧八幡郵便局舎」。
小さいながらも、とてもエキゾティックな外観が印象的な建物でした。

Omihachiman04内部には、作り付けの木製カウンターや引き出しが当時のまま残っていて、細かな植物模様の刻まれたガラスが、とても繊細でステキでした。

Omihachiman03
次は「近江兄弟社学園ハイド記念館」。
近江兄弟社学園は、ヴォーリズ夫人の満喜子さんが開いた保育施設「清友園」から始まった現在は保育園から高等学校までが併設された学校で、私が訪ねた日は休日だったのですが、クラブ活動で登校していた生徒さんが爽やかな挨拶を、ごく自然にしてくださったのが、とても気持ちよかったです。
階段の下に引き出しが設けられていたり、小さな子供たち一人一人のための木製ロッカーなど、とても細やかな配慮の行き届いた、優しさにあふれた美しい建物でした。

   ◇  ◇  ◇

旧八幡郵便局舎
1921年(大正10年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市仲屋町

   ◇  ◇  ◇  

近江兄弟社学園ハイド記念館
1931年(昭和6年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
滋賀県近江八幡市市井町

|

02 November 2009

オルガンの音響く「明治学院礼拝堂」

Meijigakuin01昨日、数少ない東京のヴォーリズ建築の一つ「明治学院礼拝堂」へ行ってまいりました♪

一月ほど前のこと、東京文化財ウィーク2009のパンフレットをパラパラとめくっていると、そこには、2日間のみ特別公開される「明治学院インブリー館」と共に、ヴォーリズさんが手がけた礼拝堂も一般公開されるという情報が。
これは絶対行かなくちゃ!と楽しみに待っていたのでした。

Meijigakuin02この日は、ちょうど学園祭も開催されていて、道中、ブラスバンドとチアリーダーのパレードに遭遇したり、キャンパス内は学生さん達の元気な呼び込みの声があふれていたりと、なかなか賑やかでした。

そんな訳で、ゆっくり静かに拝見させていただくという訳にはいかなかったのですが(見せて頂いてるのに、そんなこと言うのは我が侭ですね)逆に学園祭期間中だったが故の幸運もありました。

Meijigakuin03飾り気のない小さな入り口からエントランスに足を踏み入れると、あ!オルガンの音がする♪
そのメロディーに導かれるようにして中に入ると、想像していたより、ずっと大きな礼拝堂には、これまた、とても立派な美しいパイプオルガンがあり、ちょうどバッハ(だと思う)が演奏されている最中でした。(翌日の演奏会のリハーサルだったようです)

Meijigakuin04入り口でいただいたリーフレットによると、2003年12月から2008年2月にかけて行われた礼拝堂の改修工事に併せて設置が進められていたオルガンは、オランダ人オルガン・ビルダーのヘンク・ファン・エーケンさんの「最高品質のオルガンを設置したい」という妥協のない制作姿勢により完成が大幅におくれ、つい先日の2009年10月末に奉献式を終えたばかりのピッカピカの新しいオルガンだったのです♪

そして、このオルガン、もちろん新品なのですが、18世紀前半の北西ヨーロッパの伝統を受け継いだ「古き良き音」を再現したものだそうで、19世紀に一度完全に途切れてしまったオルガン建造技術を復活すべく、材料の吟味から始まり、すべて工程で古来からの方法を使って手作りしたのだそうです。

Meijigakuin05ところで、1916年(大正5年)に竣工した礼拝堂は、その3年後にヴォーリズさんご自身も結婚式を挙げられた縁あるもので、その、むき出しの梁と木組みの天井が特徴の、とても素晴らしい建物でした。
堂々とした威厳を保ちながらも、暖かで優しさを感じさせるところがヴォーリズさんらしいですね。
ただ、礼拝堂翼部は昭和9年に増築されたものなので、もしかすると竣工当時と現在とでは外観も内部の印象も、かなり違ったものになっているかもしれないです。
オルガンの音色に耳を傾けながら、翼部の無かった頃を頭の中でイメージしてみたり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。

   ◇  ◇  ◇

明治学院礼拝堂
1916年(大正5年)
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
東京都港区白金台1-2-37

【関連エントリ】
明治学院「インブリー館」
明治学院「記念館」

|

« October 2009 | Main | December 2009 »