20 August 2008

東京国立博物館 法隆寺宝物館と「対決 巨匠たちの日本美術」

Horyuji_homotsukan行ってきました! 東京国立博物館の法隆寺宝物館。

こんな質の高い法隆寺由来のものを東京で観ることができるなんて、全然知らなかった。
兎に角、素晴らしいです♪

以前は「晴れている」木曜日のみの開館だったそうですが、平成11年に谷口吉生さんが設計した新しい宝物館に建て替えられてからは本館と同じように公開されているので、これからは機会ある毎に立ち寄りたいと思いました。

Kanjoban01展示室に入って、まず最初に出迎えてくれたのが、国宝の《灌頂幡(かんじょうばん)》でした。
先日、奈良で法隆寺の百済観音像や四天王像を観た時から、その冠に使われていた「透かし彫り」の技法が、とても気になっていたので、その美しさには思わずため息が出てしまいました。
Kanjoban02中世ヨーロッパのレースをも思わせる透かしは、繊細さと素朴さが相まって、すごく魅力的です。

また、飛鳥時代の金銅仏を、前後左右どこからでも見ることの出来るシンプルなガラスケースに納め整然と並べた展示室は、抑え目な照明が神秘的な雰囲気をかもし出していて、至福の時を過ごすことができました。

Bosatsu_hankazou_n156そして、写真ではお馴染みの《摩耶夫人及び天人像(まやぶにんおよびてんにんぞう)》にも会うことができました。
摩耶夫人の袖口から顔を出す産まれたばかりのお釈迦さまが、ちっちゃくって可愛いのです!
この群像は、飛鳥の橘寺から法隆寺に移されたものだそうです。

それから、国宝の《竜首水瓶(りゅうしゅすいびょう)》にも目を奪われました。
形、色合い共に、とても美しいデザインです。

【写真下】
丙寅年銘金銅菩薩半跏思惟像 N156
飛鳥時代・推古14年(606)または飛鳥時代・天智5年(666)

   ◇  ◇  ◇

折角なので、平成館で開催されていた「対決 巨匠たちの日本美術」も観てきました。
長時間待たされることもなく入館はできたのですが・・・
展示室の中は大混雑!
ダメだぁっ 目が回りそ〜
人垣の隙間を縫うテクニックを駆使して一通り見ましたが、じっくり作品に向き合うことは残念ながら出来ませんでした。

私の判定は一応こんなところです。(○白星 ●黒星)

●運慶vs快慶○
○雪舟vs雪村●
●永徳vs等伯○
○長次郎vs光悦●
○宗達vs光琳●
●仁清vs乾山○
○円空vs木喰○(引き分け)
○大雅vs蕪村●
●若冲vs蕭白○
●応挙vs芦雪○
○歌麿vs写楽●
●鉄斎vs大観○

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14 August 2008

奈良雑感

Piano今回の奈良旅行で滞在したホテルのダイニングルームの片隅に、一台のピアノがありました。

随分と古めかしいこのピアノ、1922年にドイツ ハンブルクで製造され、1926年(大正15年)に、このホテルが購入した日本に現存する最も古いスタインウェイの一つなのだそうです。

奈良って、そこらじゅう古いものでいっぱいだけど、そうか〜日本で一番古いスタインウェイも、ここ奈良に残っていたのね、と妙に納得してしまいました。
でも、ほんの90年位前のものなんて、奈良では古いうちに入らないのだろうなぁ〜と思ったりも。

Nara_hotel04話は飛びますが、作曲家セルゲイ・プロコフィエフが27歳の時、ロシア革命によって内乱状態になった祖国を離れアメリカに渡る途中、奈良にも立ち寄り、興味深い日記を残していることを知りました。

【リンク】プロコフィエフの日本滞在日記

少し長いですが、1918年6月19日(旧暦6月6日)の日記を引用してみます。

バイオリン・ソナタのためのアンダンテのアイデアが生まれる。四時に奈良へ移動した。広大な聖なる公園のなかにある湖のほとりに、無数の寺や記念碑とともに素晴らしいホテルが建っている。公園には聖なる鹿が歩きまわっている。よくなついていて、パンをやり始めるとまわりを取り囲まれてしまう。池には体長70センチほどの金色の魚がいて、太っていていやらしいが、やはり聖なるものだ。ここは静かでのびのびとしている。見事な鐘は、形はミトラ〔主教などの典礼用冠〕を思わせ、音は大きく上等なドラを思わせる。

Nara_hotel03外国人のプロコフィエフが初めて訪れた奈良の印象と、今回、私が奈良から得た印象との間に大した違いがないことは、日本人の私としてはちょっと情けないのでありますが、逆に、経済成長と共に急速に変化して行った日本の中において奈良が大きな変化なしに現在まで存在し続けたことが良く解かる一文でもありました。

ざわざわしたところがなく、訪問者に対して大袈裟な歓迎はしないけれど、さりげなく暖かく受け入れてくれる奈良。
今ごろ気がついたの?って笑われそうだけど、奥深い歴史や幅広い文化・芸術の横たわっている奈良。
すごく面白いところなんだなぁと、私は、もう、すっかり魅せられてしまいました。

Nara_hotel01ところで、プロコフィエフは、同6月23日(旧暦6月10日)の日記に、こんなことも書いてます。

奈良はいいところだが、少し退屈だ。一人でいることに退屈するとは自分でも驚きだが、その原因は、今は何も書く気がしないし、作曲もする気にならないからだ(ちょっとした休憩といったところか)。それに手元にある本はショーペンハウエル一冊だけ。『意志と表象としての世界』をまた読み始め、大いに満足を得たが、この本は少しずつしか読めない。せいぜい一日に一、二時間。だから何もしないでいる時間が多いのだ。

Nara_hotel02残念ながら、プロコフィエフが滞在した時、ホテルに、まだ、このピアノはなかったのですね。
あれば、退屈するどころか、毎夜、音楽会になっていたかも?!

ちなみに、私はちっとも退屈だとは思いませんでしたよ~
逆に、たくさんの刺激をもらった素晴らしい旅になりました。

だらだらと中だるみしながらも何とか最後まで辿り着いた「奈良旅行記」。
実は帰り道に京都にも立ち寄ったのですが、一旦これで終わりにしようと思います。
長らくお付きあいいただき、どうもありがとうございました。

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11 August 2008

當麻寺と中将姫の曼荼羅

Taimadera01飛鳥寺から橿原神宮駅に戻り、近鉄南大阪線に乗って約15分、當麻寺駅に到着です。
地図をたよりに駅から西に真っ直ぐ伸びる道を進むと、遙か遠くの山の中腹に三重塔が小さ〜く見えて来ました。

あ!あれがきっと當麻寺(たいまでら)の三重塔だ!
よしよし、この道で間違ってなさそうね。あの塔目指して進むぞっ!
と両側に古い民家やお店の残る風情ある道を歩くこと約20分。
中将姫の曼荼羅や創建当時(天平時代)のまま現在も残る東西二つの三重塔で良く知られている當麻寺に到着です。

あ〜着いた〜 それにしても暑かった〜
最初にくぐった東大門を守ってた仁王様が「暑い中、遙々よく来たね〜」と優しく迎え入れてくれたのは暑さのゆえの幻覚?!

Taimadera03さて、當麻寺は、用命天皇の皇子 麻呂子親王が兄 聖徳太子の教えにより612年に河内国山田郷に創建した萬法蔵院禅林寺を、麻呂子親王の孫 當麻国見が現在の場所に681年に移し、名を改めたお寺なのだそうです。

山の斜面を上手く使って、本堂、金堂、講堂、塔など建てられたお寺は伽藍全体に立体感があり、とても重層的でした。

金堂には白鳳時代の弥勒仏や四天王像、講堂には藤原時代の阿弥陀如来像をはじめとする数多くの国宝、重要文化財に指定された仏像が安置され、建物共に見応えがありました。

が、しかし、やっぱり一番印象に残ったのは本堂に安置されていた中将姫によって織られたと伝えられている4メートル四方もある大きな曼荼羅でした。

中将姫は、奈良時代の右大臣 藤原豊成(藤原鎌足の曾孫)の娘。
幼い時に母を失った姫は継母から疎まれ捨てられてしまいます。その後、父と再会した姫は仏門に入ることを願い出て、當麻寺で、この曼荼羅を織り上げたのだそうです。

Taimadera02ところで、この日、その曼荼羅と曼荼羅が納められている厨子の調査に文化庁から数名の係官やカメラマンが本堂を訪れ、住職と相談事をしているところに遭遇しました。

あら、こんな時にいいのかしら? と本堂の入口で躊躇していたら、どうぞどうぞお入りくださいと勧めてくださったので、遠慮なく上がらせていただきました。
そして、お話も聞いちゃいました。

すると、どうもこの秋に、天平時代に作られた厨子と曼荼羅を本堂から外部に移して修復する予定があるらしいのです。

現在、厨子に納められている曼荼羅は、実は中将姫の織ったオリジナル(国宝)ではなく、室町時代につくられた複製の文亀曼荼羅(重要文化財)。

その文亀曼荼羅が修復されている間・・・

もしかしてもしかすると、ずっと長いこと倉庫に仕舞ってあるオリジナルの根本曼荼羅(国宝)を出してくる可能性もあるのだそうです。

これは、お寺の案内をしてくださった係の方が、確定した訳ではないのよと、こっそり教えてくださった内緒の情報です。
本物、見てみたいですね。

写真は上から

當麻寺 本堂(曼荼羅堂)
當麻寺 講堂
當麻寺 西塔(手前)と東塔(奥)

●フォト・アルバム 當麻寺(葛城市)

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09 August 2008

飛鳥寺と飛鳥大仏

Asukadera01のどかな田園の中を小さなバス「あか亀」にゆられて次に向かったのは飛鳥寺。
596年に創建された日本最古のお寺です。

現在は、20人も入れば一杯になってしまいそうな本堂と鐘楼くらいしかない小さなお寺ですが、創建当時は塔を中心に三つの金堂、講堂、廻廊を持つ大伽藍の寺院だったそうです。

飛鳥寺には日本最古の釈迦如来坐像(609年)も残っています。
そうです! 斑鳩の法隆寺や法輪寺ですっかり魅せられてしまった飛鳥時代の仏像です!

別名「飛鳥大仏」と呼ばれる釈迦如来坐像は高さ3メートルもあり、平安、鎌倉時代に起こった火災で全身に火をかぶり、痛々しい修復の跡が幾つもありましたが、1400年もの間、一歩も動かず、ずっとこの場所に座り続けていらっしゃるなんて凄いことだと思いました。

藤原京から平城京に遷都された時、官立の大寺は優先的に移されたそうで、飛鳥寺も元興寺に名を改めて移ったのだそうです。
都のお引っ越しと共に移動しなければならないというのも随分と大変だったろうなぁと思うのですが、その頃は宮殿もお寺も建物を解体し新京に運んで再利用することが多かったそうです。
エコですね〜

●フォト・アルバム 飛鳥寺(高市郡明日香村)

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07 August 2008

橘寺と川原寺跡

Tachibanadera02高松塚古墳を後にし、次は橘寺(たちばなでら)へ向かいました。

飛鳥めぐりには、自転車が便利そうでしたが、燦々とふりそそぐ夏の太陽のもと、とてもサイクリングをする勇気は湧かず、ゆっくりと奈良交通の周遊バス「赤かめ」を使って移動することに。

川原バス停で降り、道なりに少し歩くと右手の小高い丘の上に橘寺らしき建物が見えてきました。
道を隔てた反対側には、川原寺(かわらでら)跡があり、廻廊や中門などの礎石や基壇が解り易く整備されています。

●フォト・アルバム  川原寺跡(高市郡明日香村)

Tachibanadera03橘寺は聖徳太子の生誕地。
もとは聖徳太子の祖父にあたる欽明天皇(橘の宮)の別宮がありましたが、606年、推古天皇の命により聖徳太子が宮殿をお寺に改造したのだそうです。

境内は、とても良く手入れが行き届き、明るくオシャレな雰囲気でした。
丸く刈り込まれた大小さまざまな低木が白い敷石の上を転がる鞠のようで可愛らしく、良いアクセントになってますね。

拝観料を払う時、暑くてフ〜フ〜してたら、奥にある往生院でゴロッと横になり天井画でも眺めながら涼んでくださいと、お寺の方が勧めてくださったので、早速、向かってみました。

260枚もの花の絵が組みあわされた天井画は、とても華やかでした。
え? 本当にゴロッとしたのかって? いえいえ〜 まさか!さすがにそこまでは出来ませんでした。でも風通しの良い広々とした畳の上で涼ませていただき助かりました。

Tachibanadera01本堂には聖徳太子像をはじめ様々な年代の仏像が安置されており、間近でゆっくり拝見することが出来ました。

他にも、境内にある二面石と呼ばれている飛鳥時代の石造物を見たり。
聖徳太子が造ったと伝えられている阿字池を見たり。
お寺の奥のほうの門(こちらが正門でした)まで行って周囲の景色を眺めてみたり。

そんなことばかりしてるものだから時間はアッと言う間に経ってしまい、1時間に1本の「赤かめ」に乗り遅れたら大変と急いでバス停まで戻ったのでした。

写真は上から

橘寺 正門(東門)
橘寺 経堂
橘寺 観音堂

●フォト・アルバム 橘寺(高市郡明日香村)

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06 August 2008

高松塚古墳と壁画館

Hekigaちょうど私が高松塚古墳を訪ねた日、ホテルでサービスされた産経新聞(奈良版、2008年7月10日付)に、タイミング良く、高松塚壁画の劣化原因を究明する文化庁の調査検討会が本格的に動き出したことを告げる記事が載っていました。

今や「白虎」は消滅寸前、「飛鳥美人」は黒カビだらけなのだそうですね・・・

劣化の原因は一つではなく、度重なる地震によって墳丘の亀裂や石室がずれ、その隙間からカビを運ぶダニなどが侵入し、カビやバクテリアが壁画に大発生。
そこに地球温暖化による石室内の温度上昇が追い打ちをかけたのではないかと考えられているそうです。

Takamatsuzukakohun更に、文化庁の管理体制に問題があったとの見方もあるらしく、昭和47年に発見されて以来、保存を理由に一切公開されなかったことが壁画を一般の人々から遠い存在にしてしまい、その結果、保存する側の緊張感が欠け、ずさんな管理が行われ続けたとみられているようです。

古墳に隣接する壁画館で、私も4種類の模写(現状模写、一部復元模写、壁画再現模造模写、石槨(せっかく)模型)を観たけれど、やっぱり、たった一つのホンモノが観たかったな。

これまでの反省もあってか? 今年、5月31日から6月8日までの9日間、初めて一般公開されたそうなので、いずれまた観るチャンスが巡ってくるかもしれないですね。

Tanada壁画館の見学を終え外に出てみると、うわぁ!相変わらず強い日差しがジリジリ!

空っぽの墳丘を見ても仕方ないか・・・ ここで引き返そうかな? 暑いしね・・・
なんて考えがチラッと頭をよぎったその時でした。

「この上から、古墳、良く見えますよ。」と、ちょうど坂を下りてきた初老の男性が声をかけてくださったのです。
とっさに「ありがとうございます!」と答え、次の瞬間、坂を昇ってる自分がいました。

古墳、見て良かったです♪
何故だか解らないのだけど、おお〜っ!これが高松塚古墳かぁとジーンと来てしまいました。
また、古墳周辺には田園風景が広がり、とても清々しく美しい眺めでした。
声をかけてくださった方に感謝です。

写真は上から

高松塚古墳 彩色壁画 西壁「女子群像」
高松塚古墳
古墳の周辺に広がる棚田

●フォト・アルバム 高松塚古墳(高市郡明日香村)

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05 August 2008

西大寺は駅ちか!

Saidaiji01近鉄線の大和西大寺は、京都から奈良、奈良から西ノ京、飛鳥、吉野方面へ行く時には必ず通る交差点のような駅。
大阪方面への電車も通っているようで、何本もあるホームは乗り換え客でいつも混雑している。
駅周辺は随分と都市化が進んでいて、たった2駅離れただけなのに近鉄奈良駅あたりとは、かなり様子が違う。
そんな大和西大寺駅から歩いて2、3分のところに西大寺はありました。

Saidaiji03765年に建立された時は、その名のとおり、西の西大寺、東の東大寺と並び称されるほど大規模なお寺だったそうです。
残念ながら、当時のもので今も残っているのは、五重塔(東塔)の石造りの基壇くらい。
しかし、度重なる災害によって縮小してしまったとはいえ、東門から本堂へとつづく参道はゆったりと長く、大きかった頃を彷彿させる堂々たる雰囲気のお寺でした。

秘仏「愛染明王坐像」は限られた期間しか拝見できないようですが、奈良国立博物館だったか?京都国立博物館だったか?記憶がごっちゃになってしまったのですが、西大寺から寄託された優れた仏像を博物館でも拝見することが出来ます。

Saidaiji02この日、境内にいた観光客は私一人位のものでしたが(^^; 通り抜けするご近所さんらしき人がちらほらいたり、境内にある幼稚園から可愛い元気な声が聞こえて来たりと、この町で生活してる人々にとって身近なお寺という感じがし、そういうのも良いものだなぁと思いました。

写真上から

西大寺本堂
西大寺四王堂
西大寺東塔跡

●フォト・アルバム 西大寺(奈良市)

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04 August 2008

唐招提寺は平成大修理中

Toshodaiji01薬師寺にほど近い唐招提寺にも、もちろん行ってみました。

私にとって唐招提寺といえば鑑真和上! 鑑真和上といえば唐招提寺!(みんな、そうかな?)
小学生の頃、社会科の授業で知った、度重なる困難な航海を克服し最後には視力を失ってまで日本へ渡って来たという鑑真和上のお話が、よっぽど印象的だったのでしょうね。

Toshodaiji03現在、金堂の平成大修理の最中(2009年秋に終了予定)のため、残念ながら、金堂の中はもちろん主要な仏像も見ることができず、じっくり深く中身を味わうとまではいかなかったのですが、ところどころ工事用フェンスに遮られながらも、鬱蒼と木々が茂り、苔むした美しい庭を楽しむことが出来ました。
実は私、唐招提寺って、もっと大陸的な雰囲気なのかと思っていたので、しっとりと豊かな緑に囲まれていたのが、ちょっと意外でした。

Toshodaiji02もしかして咲いてるかなぁ?と期待していた池の蓮は、蕾の気配すらなかったのですが、鉢植えされた蓮のほうは沢山の蕾をつけ今にも咲きそうでした。

金堂平成大修理が終わったら、絶対にまた行きたいです。
その時は、鑑真和上坐像(奈良時代)と御影堂内にある東山魁夷さんの襖絵も見ることが出来るといいな。

●フォト・アルバム 唐招提寺(奈良市)

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03 August 2008

衝撃!薬師寺の釈迦十大弟子

Yakushiji01午前中、高畑町、奈良町と充分町歩きが楽しめたので、午後は近鉄線に乗って、西大寺や西ノ京の薬師寺、唐招提寺を訪ねてみました。

この日訪ねた4つのお寺は、どこもそれぞれ歴史や趣があり素晴らしかったのですが、なかでも強く印象に残ったのが薬師寺でした。

Saitou昭和になってから次々に再建された色鮮やかな建築群。
彫刻家 中村晋也さん(1926〜 )の阿僧伽菩薩(あさんがぼさつ)、伐蘇畔度菩薩(う゛ぁすばんどぅぼさつ)、釈迦十大弟子のブロンズ像。
これらから、今までぼんやりと持っていた寺院や仏像のイメージを壊されるほどの衝撃を受けたからです。

Toutou680年の創建当時のまま唯一残った東塔と同じ様式で再建された西塔や金堂には色鮮やかな彩色がされていて、そうか! 平城京に都が移され一番華やかだった頃、人々が目にしていたのは、こんな青丹色(緑青色と朱色)の建物群だったのかと、古の都にタイムスリップした気分でした。

また、仏教の生まれたインドの国の人々の風貌そのものを写実的表現で菩薩や弟子の姿として造りあげられた中村晋也さんの彫刻にも驚きに近いものを感じました。
そうだった!お釈迦さまはインドで生まれた人だったんだぁ。すっかり忘れてた。

Anaritsuこれら彫刻を仏像と言ってよいのかどうか、不勉強な私には、まだ判断ができないのだけれど、後生の人々に平成時代の仏教美術の一つとして伝えられるのかと思ったら、とてもステキなことだなと思いました。

それから、今回、私は見ることができませんでしたが、薬師寺には平山郁夫さんの壁画もあるそうで、創建当時の建物の姿を甦らせる一方、今現在、活躍している芸術家に制作を依頼する薬師寺の方針は素晴らしいなと共感しました。

写真は上から

薬師寺金堂
薬師寺西塔
薬師寺東塔
薬師寺 釈迦十大弟子より「阿那律像(あなりつぞう)」

●フォト・アルバム 薬師寺(奈良市)

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02 August 2008

新薬師寺と町歩き

Takabatake奈良滞在3日目は、お寺だけでなく人々が生活を営んでいる「町」の雰囲気も味わってみようと奈良公園周辺の「高畑町」と「奈良町」をのんびり歩いてみました。

この日も朝から眩しいほどの青空。日焼け止めローションとパラソルで、しっかりガードし、いざ出発♪
まず初めにホテル東方に位置する高畑町を訪ねてみました。

高畑の最終目的地は「新薬師寺」です。寄り道せずに歩けば15分ほどで到着する距離なのですが・・・ 私がそれで済むわけありませんよね。
行ったり来たり、後戻りをしてみたり横っちょを覗いてみたり、大幅に時間オーバー。
だって、とてもステキな街並みなのです♪

緩やかな細い坂道の両側に軒を連ねる商家や民家。
色合い、形ともに揃った格子戸や格子窓が、良い統一感を街並みに与えてます。
よく見ると、それら格子は微妙にデザインが違うのですが、かなり年季のはいった古色豊かなものから近ごろ新築されたばかりの家に至るまで、兎に角、その通り沿いほとんどの建物に格子がはめられているのには感心するばかり。
ガレージの扉まで格子にしてあるお宅もあり、中に色鮮やかなヨーロッパ車が停まっていたのには思わずニンマリしちゃいました。
美しい街並みを残し、伝えてゆこうとする住民の方々の思いが伝わってくるステキな町でした。

大抵が個人のお宅なので、なるべく写真撮影は控えましたが、造り酒屋さんや雰囲気のある土壁などをフォト・アルバムにしてみました。

●フォト・アルバム 新薬師寺と高畑町

Shin_yakushiji脱線しながらようやく到着した「新薬師寺」は小さいけれど奈良時代の雰囲気そのままを伝える美しいお寺でした。

747年の創建当時は、かなり大規模なお寺だったそうですが、唯一残った建物を現在は本堂として使っているそうです。

その建物(本堂)の屋根の、ゆったりとして美しいこと!
屋根を下側から見あげた時の垂木の並び方が、またとても優美だったので、撮ってみたのが、この写真です。

お堂の中は簡素な印象でしたが、本尊の薬師如来像を守っている塑像の十二神将立像(奈良時代)は頼もしい面もちの神様ばかりで迫力満点でした。ちょっと恐すぎ〜
詳しくは、こちらをどうぞ! 新薬師寺公式ホームページ

Kohshinoie新薬師寺を後にし、また高畑の町をあっちへ行ったり〜、こっちへ行ったり〜しながら元興寺の南側に広がる町の方面へ歩いてゆくと、そこが奈良町でした。
この辺りも高畑町同様、格子の家が沢山残っていて、それら古民家を利用した雑貨屋さんやご飯屋さんなどが、あちこちに点在していて、ちょっとした観光スポットになっているようでした。
その中の「ならまち格子の家」は江戸末期の町家を再現した奈良市の施設。
休憩がてら中を見学させていただきました。

●フォト・アルバム ならまち格子の家

中庭や高い吹き抜けのあるシックな内装もステキだったのだけど、兎に角、びっくりしたのは、外はもの凄い暑さなのに、家の中に一歩入ると風がス〜ッと通り抜け、とっても涼しかったこと!
エアコンなしで、こんな快適な空間が作れるのかと、自分の生活をちょっと反省。

写真は上から

高畑町の酒屋さん
新薬師寺本堂
ならまち格子の家

蛇足ですが、こうして並べて気がつきました。
この3枚の写真の中に、お寺の屋根と民家の格子共通の美しさがありませんか?

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