當麻寺と中将姫の曼荼羅
飛鳥寺から橿原神宮駅に戻り、近鉄南大阪線に乗って約15分、當麻寺駅に到着です。
地図をたよりに駅から西に真っ直ぐ伸びる道を進むと、遙か遠くの山の中腹に三重塔が小さ〜く見えて来ました。
あ!あれがきっと當麻寺(たいまでら)の三重塔だ!
よしよし、この道で間違ってなさそうね。あの塔目指して進むぞっ!
と両側に古い民家やお店の残る風情ある道を歩くこと約20分。
中将姫の曼荼羅や創建当時(天平時代)のまま現在も残る東西二つの三重塔で良く知られている當麻寺に到着です。
あ〜着いた〜 それにしても暑かった〜
最初にくぐった東大門を守ってた仁王様が「暑い中、遙々よく来たね〜」と優しく迎え入れてくれたのは暑さのゆえの幻覚?!
さて、當麻寺は、用命天皇の皇子 麻呂子親王が兄 聖徳太子の教えにより612年に河内国山田郷に創建した萬法蔵院禅林寺を、麻呂子親王の孫 當麻国見が現在の場所に681年に移し、名を改めたお寺なのだそうです。
山の斜面を上手く使って、本堂、金堂、講堂、塔など建てられたお寺は伽藍全体に立体感があり、とても重層的でした。
金堂には白鳳時代の弥勒仏や四天王像、講堂には藤原時代の阿弥陀如来像をはじめとする数多くの国宝、重要文化財に指定された仏像が安置され、建物共に見応えがありました。
が、しかし、やっぱり一番印象に残ったのは本堂に安置されていた中将姫によって織られたと伝えられている4メートル四方もある大きな曼荼羅でした。
中将姫は、奈良時代の右大臣 藤原豊成(藤原鎌足の曾孫)の娘。
幼い時に母を失った姫は継母から疎まれ捨てられてしまいます。その後、父と再会した姫は仏門に入ることを願い出て、當麻寺で、この曼荼羅を織り上げたのだそうです。
ところで、この日、その曼荼羅と曼荼羅が納められている厨子の調査に文化庁から数名の係官やカメラマンが本堂を訪れ、住職と相談事をしているところに遭遇しました。
あら、こんな時にいいのかしら? と本堂の入口で躊躇していたら、どうぞどうぞお入りくださいと勧めてくださったので、遠慮なく上がらせていただきました。
そして、お話も聞いちゃいました。
すると、どうもこの秋に、天平時代に作られた厨子と曼荼羅を本堂から外部に移して修復する予定があるらしいのです。
現在、厨子に納められている曼荼羅は、実は中将姫の織ったオリジナル(国宝)ではなく、室町時代につくられた複製の文亀曼荼羅(重要文化財)。
その文亀曼荼羅が修復されている間・・・
もしかしてもしかすると、ずっと長いこと倉庫に仕舞ってあるオリジナルの根本曼荼羅(国宝)を出してくる可能性もあるのだそうです。
これは、お寺の案内をしてくださった係の方が、確定した訳ではないのよと、こっそり教えてくださった内緒の情報です。
本物、見てみたいですね。
写真は上から
當麻寺 本堂(曼荼羅堂)
當麻寺 講堂
當麻寺 西塔(手前)と東塔(奥)
●フォト・アルバム 當麻寺(葛城市)
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Comments
nakaさん、こんにちは。
はい!(^^)
私以外、誰一人観光客の姿はなく、学校帰りの小学生数人が境内を通り抜けるのを見かけたくらいでしたよ。
牡丹の花の咲く頃には、賑わうそうですが・・・(^^;
荘厳な雰囲気のお寺なので機会があったらnakaさんも立ち寄ってみてください!(^^)
Posted by: snow_drop | 14 August 2008 07:29
むちゅさん、こんにちは。
わぁ、當麻寺で降りないで乗りつづければ、むちゅさんの所まで行けたのですね〜(^^)
ダイレクトに大和路に繋がっているなんて、やっぱり関西在住っていいですね。
ローカル線なの? 改札は自動だし、駅員さんもいたし・・・
そういう印象なかったですよ〜(^^)
Posted by: snow_drop | 14 August 2008 07:19
今年の夏も暑いので、大変ですね(^^;
當麻寺は訪れたことがありませんが、写真の雰囲気から想像すると観光客もあまり多くなさそうで落ち着いた雰囲気ですね。
このあたり電車が発達しているので、観光にも楽ですね。
Posted by: naka | 13 August 2008 23:11
近鉄南大阪線・・・
かなりローカルだったでしょう(笑)?
実は、私はその南大阪沿線に住んでいます。
とはいえ、私の住んでるところを境に、びっくりするほどローカル感が漂うので・・・と言い訳(笑)
Posted by: むちゅ | 12 August 2008 14:20