「異才伝」須賀敦子 その4
「異才伝」 I remember 須賀敦子 その4
「朝日新聞(夕刊)」2007年1月26日(金)より転載
■活動の場、10年ごとに変える 松山 巌
須賀さんの文学活動をどうとらえるか。僕も含め、たぶん多くの人は61歳のデビュー作「ミラノ 霧の風景」以降しか知らない。でも、彼女の作家性の起点はそのはるか以前にあった。遺作を編み年譜をつくる中で実感したのはそのことです。
◇ ◇ ◇
会えば酒を飲み冗談をいいあう友人ではあったけれど、とうとうと自分を語る人じゃなかったから須賀敦子という人がどういう人生を生きてきたかってことは僕にとっても謎だった。
勘なんだけど、彼女はほぼ10年ごとに自分の位置を変えている。ひめゆり部隊は同世代だといっていた。戦後いち早く読んだヨーロッパの抵抗文学への関心が引き金になったのか、渡仏してカトリック左派と呼ばれる信仰者の存在を知る。30代を過ごしたイタリアでは、元パルチザンや労働歌を歌い教会に忌避されるような神父と出会う。ミッションスクールで育った彼女にとっては異端者だったろう。でも彼らにとけ込んでいく。
何げない言葉に、えっ?と思うことがよくあった。イタリア戦後文学の潮流をつくった文学史上の作家との交流をさらっと話す。谷崎、鏡花、石川淳なんかが大好きで、ものすごく詳しかった。ミラノ時代、彼女はイタリア語訳の近現代日本文学選集を出しているのです。
◇ ◇ ◇
クズ屋だったの、なんていうことがあった。また、えっ?と思う。帰国後の一時期、須賀さんは廃品回収の収益を慈善にあてるエマウス運動に没頭した。やがて大学の教壇にたちギンズブルグなどを訳して翻訳家として世に出る。そしてイタリアの日々の記憶をエッセーに紡ぎ始めるのだけれど、日本人が喪失した友情とか謙譲ということに思いを誘うあの一連の作品は彼女の現代批判だったと思う。
60代で書く人としてのポジションを固めた彼女は、次の段階を準備していた。あるフランス人修道女を主人公にした小説の未定稿を残してます。自身の半生を重ねながら"信仰に生きるとはどういうことか"という彼女の背骨であったはずの問いを託そうとしたのだと思う。仮題がありました--。「アルザスの曲がりくねった道」(談)
松山 巌(まつやま いわお)
45年、東京生まれ。東京芸大卒。評論家、作家。『闇のなかの石』『群衆』『世紀末の一年』など著書多数。「須賀敦子全集」(河出書房新社、全8巻)」編集委員。
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Comments
こだまさん、こんにちは。
わ~っ 8巻全部揃えちゃったのかしら?
ゆっくりと楽しんでくださいね。
この新聞の連載も読んでいただけて良かったです♪
Posted by: snow_drop | 05 February 2008 13:12
アトリエバラさん、こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
既に「神戸市立小磯記念美術館」のコメント欄は閉じていたので、私のほうで移動させていただきました。
Posted by: snow_drop | 05 February 2008 13:07
僕も文庫の全集を読み始めましたよ。
この記事もここで目にしなければ読むことはなかったろうと思います。
どうもありがとう!
Posted by: こだま | 05 February 2008 03:23
ご無沙汰しております。久々に足跡を振り返り訪問させていただきました。
展覧会大盛況の様子目に浮かぶようです。
ただ残念なのはYahooでダイアリーさんの10点の作品が拝見できなかったことが返す返すも残念です(笑)
本当は展示会の小磯さんの「神戸市立小磯記念美術館」の所にコメントを書きたかったのですがココログはまだ二度目の書き込み良く解りません。
小磯さんには家内が40年前に芸大でデッサンを見てもらっています。
私は新制作創立会員彫刻部の吉田芳夫・船越保武
スペースデザイン部の岡田哲郎(敬称略)が恩師の為(35年前)新制作の名前が出ると私も家内も大学時代を思い出します。誰しも使う言葉ですが「昔は良かった・・・」
Posted by: アトリエバラ | 04 February 2008 20:26