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21 January 2008

「異才伝」須賀敦子 その2

「異才伝」 I remember 須賀敦子 その2
「朝日新聞(夕刊)」2007年1月12日(金)より転載

■行動力旺盛 最高の理解者は父  北村 良子

 「誰も敦子の意志を変える事は出来ない」。子供の頃からの好奇心の強さと行動力。これが家族の暗黙の認識だった。

   ◇  ◇  ◇

 「パパそっくり」と母は言ったが、性格の似た者同士は姉が大人になるまで事あるごとに衝突した。例えば戦後の混乱期、休暇を終えて東京の寄宿舎に戻る娘の汽車の切符を父は親心から手配してしまう。券を渡され姉は「友達は皆大阪駅で長時間並んで買うのに。特別はいやっ」と怒った。晩年の姉の静かな文章からは想像もつかないだろうけれど。
 普段の姉は明るくユーモアに富み、話し上手。そして家族ばかりではなく周囲に気を配る、思いやりの深い人だった。
 53年に慶応の大学院からフランスに留学、帰国後、またイタリアに。これを父が許したのは、父が積極的に設定した見合いをまったく無視され、さすがの父も「この娘はとても自分の思い通りにはならぬ」と悟ったか、姉に過去の自分が果たし得なかった夢を託そうとしたのかも知れないと思う。
 イタリアで出会ったペッピーノとの結婚の許可を求める手紙が両親の下に届き、彼らの反対にも拘わらず間もなく二人の結婚式の報告と写真が送られて来た。1カ月ほどして二人揃って日本を訪れたが、姉が確信していた通り穏やかで知的な彼を一目見て父は悦んで受け入れた。
 たった6年を経て病で彼を失い、傷心のうちに帰国した姉だったが、続いて祖母、父、そして母を亡くした。私は息をつめて姉を見ていたけれど、持ち前の行動力で人生を切り開いていった。姉はずっと父を最高の理解者だと思っていたと思う。

   ◇  ◇  ◇

 97年から98年にかけ姉が癌と闘っていた頃、私の夫も病床にあり、始終私が姉に付き添う事が叶わず不安な思いをさせた。でも見舞うと気分のいい日は子供の頃の話を楽しそうにした。
 小学生の頃、夜各自のベッドにはいってから好きな本を読む事が最高に楽しい時間だった。ある時、病室で姉はふっと言った。「グリムの中で自分の妙な名をあてさせる小人の話、覚えてる?」。即座に私が「ルンペルシティルツヒェン!」。姉は手を打って大喜び。あれも父が贈ってくれた本だった。(寄稿)


北村 良子(きたむら りょうこ)
30年、須賀豊治郎・万寿の次女として生まれる。姉敦子とは1歳違い。兵庫県宝塚市の小林聖心女子学院専門部英文科卒。53年、建築家北村隆夫(故人)と結婚。現在同県西宮市在住。


「異才伝」須賀敦子 その1
「異才伝」須賀敦子 その3
「異才伝」須賀敦子 その4

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Comments

あぶりるさん、こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰しております。

わ~嬉しいです!あぶりるさんも須賀さんがお好きだったのですね。(^^)
この連載の存在は私も少し後になって知ったのですが、どうしても気になり図書館でバックナンバーを探してみました。
朝日新聞を購読してない方は目にする機会がなかっただろうし、折角なら情報を共有したいなと思ってブログにアップしてみました。
こうして、あぶりるさんにも読んでいただけて良かったです。(^^)

連載は、このあと(その3)(その4)と続くのですが、まだ下書き書庫に入ったままなので、今週末にもアップしますね。
こちらにも、須賀さんの微笑ましいエピソードがあり、また違った素顔を垣間見ることができました。(^^)
もう、ちょっとだけ待っててくださいね。

Posted by: snow_drop | 01 February 2008 at 13:08

snow_dropさん、ごぶさたしています。
須賀敦子さん、私も大好きな作家で、中公文庫の須賀敦子全集を、とびとびで購入したりしています(もう持っているものもあるので揃えられない、というのも変な話ですが)。
須賀さんの妹さんが書かれた文章なんですね。
また異なった須賀さんの横顔に触れたような気がします。
おかげ様で読ませていただけて、うれしいです。

Posted by: あぶりる | 31 January 2008 at 23:53

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