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25 January 2008

プッチーニ《ラ・ボエーム》@新国立劇場

La_boheme2008年1月24日(木)
新国立劇場 オペラ劇場

昨夜、新国立劇場で、マリア・バーヨを聴いてきました♪
あ〜 この日が来るのをどれだけ待ったことか。思えばドレースデン・ゼンパーオパーでのキャンセル以来だもの。

艶やかで張りのある透明な声。
独特の歌いまわし。
それは、もう紛れもなくマリア・バーヨでした。(^^)

兎に角、今回の上演で強く感じたのは、明らかにバーヨが良くも悪くも他の歌手のみなさんから頭一つ抜きん出ていたことでした。
もちろん、ロドルフォ役の佐野さんをはじめ、歌手のみなさんそれぞれが高水準の歌と演技を披露してくださいました。
けれど、一番小柄でほっそりしているはずのバーヨの歌声だけが、特別な音のかたまりになって4階席の私のところまで届いて来るのです。
それは、単に声量があるというのでもなく力に任せて歌っているという訳でもないのにです。
むしろ発声はとても自然で、低音から高音まで常に安定していてムラがなく、言葉の発音も明瞭でした。

逆に言えば、そのせいでバーヨ独特の歌いまわしのようなものが感じられ、もしかすると聴き手によっては好き嫌いがはっきり別れたかもしれません。でも、その個性こそがバーヨの最大の魅力であり強みなのかもしれないと思いました。

それから、オーケストラの東京交響楽団も良かったです。特にピアニッシモになっても鮮明に音を響かせているのが印象的でした。
そして、個性的な歌手、合唱、オケを、手堅くまとめあげた指揮者バルバチーニさんに拍手です。
派手さはないけれど職人技を持ったオペラ指揮者という感じでした。

ところで、このプロダクションでの《ラ・ボエーム》上演は3回目。
今回は、バーヨを聴くのが主目的で、《ラ・ボエーム》を観ようと思って出かけていった訳ではなかったので、別にいいのだけど・・・
何度見ても私には全く響いてくるもののない演出や舞台美術でした。

  ◇  ◇  ◇

プッチーニ《ラ・ボエーム》

指揮:マウリツィオ・バルバチーニ
演出:粟國 淳

ミミ:マリア・バーヨ
ロドルフォ:佐野 成宏
マルチェッロ:ドメニコ・バルザーニ
ムゼッタ:塩田 美奈子
ショナール:宮本益光
コッリーネ:妻屋 秀和
べノア:鹿野 由之
アルチンドロ:初鹿野 剛
パルピニョール:倉石 真

合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:TOKYO FM少年合唱団
管弦楽:東京交響楽団

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21 January 2008

「異才伝」須賀敦子 その2

「異才伝」 I remember 須賀敦子 その2
「朝日新聞(夕刊)」2007年1月12日(金)より転載

■行動力旺盛 最高の理解者は父  北村 良子

 「誰も敦子の意志を変える事は出来ない」。子供の頃からの好奇心の強さと行動力。これが家族の暗黙の認識だった。

   ◇  ◇  ◇

 「パパそっくり」と母は言ったが、性格の似た者同士は姉が大人になるまで事あるごとに衝突した。例えば戦後の混乱期、休暇を終えて東京の寄宿舎に戻る娘の汽車の切符を父は親心から手配してしまう。券を渡され姉は「友達は皆大阪駅で長時間並んで買うのに。特別はいやっ」と怒った。晩年の姉の静かな文章からは想像もつかないだろうけれど。
 普段の姉は明るくユーモアに富み、話し上手。そして家族ばかりではなく周囲に気を配る、思いやりの深い人だった。
 53年に慶応の大学院からフランスに留学、帰国後、またイタリアに。これを父が許したのは、父が積極的に設定した見合いをまったく無視され、さすがの父も「この娘はとても自分の思い通りにはならぬ」と悟ったか、姉に過去の自分が果たし得なかった夢を託そうとしたのかも知れないと思う。
 イタリアで出会ったペッピーノとの結婚の許可を求める手紙が両親の下に届き、彼らの反対にも拘わらず間もなく二人の結婚式の報告と写真が送られて来た。1カ月ほどして二人揃って日本を訪れたが、姉が確信していた通り穏やかで知的な彼を一目見て父は悦んで受け入れた。
 たった6年を経て病で彼を失い、傷心のうちに帰国した姉だったが、続いて祖母、父、そして母を亡くした。私は息をつめて姉を見ていたけれど、持ち前の行動力で人生を切り開いていった。姉はずっと父を最高の理解者だと思っていたと思う。

   ◇  ◇  ◇

 97年から98年にかけ姉が癌と闘っていた頃、私の夫も病床にあり、始終私が姉に付き添う事が叶わず不安な思いをさせた。でも見舞うと気分のいい日は子供の頃の話を楽しそうにした。
 小学生の頃、夜各自のベッドにはいってから好きな本を読む事が最高に楽しい時間だった。ある時、病室で姉はふっと言った。「グリムの中で自分の妙な名をあてさせる小人の話、覚えてる?」。即座に私が「ルンペルシティルツヒェン!」。姉は手を打って大喜び。あれも父が贈ってくれた本だった。(寄稿)


北村 良子(きたむら りょうこ)
30年、須賀豊治郎・万寿の次女として生まれる。姉敦子とは1歳違い。兵庫県宝塚市の小林聖心女子学院専門部英文科卒。53年、建築家北村隆夫(故人)と結婚。現在同県西宮市在住。


「異才伝」須賀敦子 その1
「異才伝」須賀敦子 その3
「異才伝」須賀敦子 その4

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20 January 2008

「異才伝」須賀敦子 その1

昨年1月、須賀敦子さんに縁ある方々によって「朝日新聞」に4回にわたって掲載されたコラムを、つい最近やっと手に入れ読むことができたので、ここにも記録します。


「異才伝」 I remember 須賀敦子 その1
「朝日新聞(夕刊)」2007年1月5日(金)より転載

■国家対立下の人間凝視に共感  重延 浩

 "イタリア"で番組を作らないかと打診された時、僕は迷わず作家須賀敦子の心象風景としてのイタリアを撮りたい、と答えた。しかも1年ごとに一作ずつ3回のべ6時間ぐらいの作品にしたい。そんなわがままな企画が通ったのです。

  ◇  ◇  ◇

 美術を中心にイタリアはずっと仕事の柱となってきた。須賀さんが書かれた「トリエステの坂道」「コルシア書店の仲間たち」も、参考書として何年も前から手元にあった。でも実はちゃんと読んでいなかった。紀行ものだと思いこみ、歴史や美術書の後になっていたのです。
 それが04年かな、ゲーテのイタリア紀行を辿る番組を作っていたころ、たまたま「ミラノ霧の風景」を開いて、あれ!と思った。これは紀行じゃない、不思議な心象風景だ、と。
 やがて、ディレクター的にいえば須賀さんのドラマツルギーが見えてきた。一見、断章をつないだ感だが、それこそが彼女の術。テーマの部分を、ほの見せておいて通読した時、全体が見渡せる仕掛けにはまった。
 須賀さんはお嬢様育ちなんだけど、50年代にパリ、ローマに留学し、カトリック左派の人々が集い、社会・文化運動の場となったミラノ・コルシア書店へ参画した。イタリア人男性との結婚、死別といい、帰国した後、大学で教え、60歳を超えてから作品を次々と発表した人生といい、自分で道を切り開いて存分に生きたひとです。

  ◇  ◇  ◇

 私は樺太からの引き揚げ者で、戦争を見たたぶん最後の世代。一連の作品を通じて国家間の歴史的ないさかいや分断の中での人間を凝視する須賀さんの目に共感した。好奇心のかたまりのようなあのひとを勝手に自分と重ねた。面識はありません。でも今回の取材で、コルシア書店やユダヤ人ゲットー、娼婦のための病院、教会、運河の水音、風の気配・・・・、彼女が描いた場所に身を置き須賀さんと交信できたと感じてます。
 とにかく3年かけて僕は須賀さんが最後に行きたかったところにいきたい。「イタリアへ」が番組タイトルだが、フランスのアルザスが、その場所では?という予感もある。あの人はひとをぐいぐいと引っ張っていく。悪い人ですね。(談)


重延 浩(しげのぶ ゆたか)
41年、旧樺太生まれ。番組制作会社「テレビマンユニオン」会長。ドキュメンタリーを数多く手がけ、昨年からシリーズ「イタリアへ 須賀敦子 静かなる魂の旅」(BS朝日)を制作。


「異才伝」須賀敦子 その2
「異才伝」須賀敦子 その3
「異才伝」須賀敦子 その4

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