15 October 2007

大阪市立東洋陶磁美術館

Ataka01中之島の大阪市立東洋陶磁美術館で「美の求道者・安宅英一の眼 − 安宅コレクション展」を見ました。

今まで、古い時代の中国や韓国の陶磁器を見る機会がほとんどなかったので、とても良い眼の保養になりました。
とても洗練された美しいものばかりで、私のなかにあった中国や韓国のイメージも、ずいぶんと変わってしまいました。

Ataka02これら素晴らしい陶磁器を集めたのは、今からちょうど30年前の1977年に解散してしまった総合商社 安宅産業株式会社の当時会長だった安宅英一(1901〜1994)さん。
とても優れた鑑識眼と美意識を持ったコレクターだったそうです。
でも・・・ たくさん買い過ぎちゃったのかしらん?

安宅産業が破綻した時、もしかしたら散逸してしまったかもしれないコレクションを、今こうして一点も欠くことなく私達が鑑賞できるのは、住友グループが大阪市に寄贈してくれたおかげだそうです。

Ataka04それから、安宅さんはクラシック音楽も大好きだったそうで、東京藝大の優秀な学生に贈られる奨学金「安宅賞」の設立者でもあったのですね〜
昭和15年に始まったこの奨学金、現在はご遺族によって引き継がれているそうです。

ところで、この美術館は館内の撮影が許可されていました。素晴らしいことです!
国宝や重要文化財など価値の高い器も数多く展示されていたのですが、あまりそういうのに拘らず、私の独断と偏見で「いいなぁ〜 好きだなぁ〜」と思ったモノを撮らせていただきました。

●フォト・アルバム 大阪市立東洋陶磁美術館

そうそう! この美術館、10月から半年間、電気設備工事のため休館となり、「安宅コレクション」は、12月16日(日)まで東京日本橋の三井記念美術館で観ることができるそうです。おすすめです♪

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14 October 2007

はじめての大阪♪

Kokaidoある日のことでした。

何を調べようとしていたのだったか?
パソコンのディスプレイには、グーグルマップの航空写真が表示されていたのでした。

街を流れる川の中にポッカリと浮かぶ、まだ名前も知らない島。

ここは、どこ? 大阪?
どこかで見たことあるなぁ〜
う〜ん、どこだったかな?

Daimaruあっ! パリ!
パリの街を流れるセーヌ河と、シテ島、サン・ルイ島に似てる。

へぇ〜 もしかして大阪ってパリのようにオシャレで美しい街なのかしらん?
何か興味湧いてきた〜
一度、行ってみようかな?

これまで縁もなく遠い遠い街だった大阪に、私が行ってみようかと思うようになったのには、こんな理由もありました。

で、実際、目にした大阪の街は日本の"パリ"だったかって?
それはノーコメント!

Kirinでも、大阪って大会社のビルがひしめくビジネス街に今も古い教会があったりと、結構、街の中心部に歴史的建造物が数多く残されていて、チェックしておいたヴォーリズ建築も、全部、周りきれなかったほど。
また、それら建物の来歴や、実業家の美術コレクションが美術館に納められていること等を知って、この街に根付いている文化や芸術を擁護するパトロン精神も見逃せないなと思いました。
そして、古いものと新しいものを調和させてゆく方法や、人間っぽい生活を思いきり楽しんじゃう心意気に、江戸東京とは違ったパワーを感じ、大阪って案外ヨーロッパ的な街かもしれないなって思ったりもしました。

そんな訳で、中之島から始まった"大阪の旅"の写真です。

●フォト・アルバム 大阪街歩き

【画像】上から
「大阪市中央公会堂」のファサード
ヴォーリズ建築の「大丸心斎橋店」
この10月末で閉館してしまう現代アートギャラリーも入っていた「KPOキリンプラザ大阪」

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10 October 2007

フランク・ロイド・ライト「旧山邑家住宅」

Yamamura01夙川のすぐお隣りの街 芦屋に、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wrightの設計した「旧山邑家住宅」があることを知り、訪ねてみました。

フランク・ロイド・ライトと言えば、今は明治村に移されてしまった「旧帝国ホテル」やピッツバーグの「落水荘(カウフマン邸)」やニューヨークの「グッゲンハイム美術館」などを設計した、この私ですら子供の頃から知ってた(学校の教科書の載っていたのだったっけかな?)とても有名な建築家なのだけど、よ~く考えてみたら建物を実際に見たことはなかったので、今回、とても良い体験ができました。

Yamamura021924年「櫻正宗」の銘柄で知られる灘の酒造家、山邑太左衛門の別邸として竣工された建物は、1935年に天木繁二郎の所有となった後、1947年に株式会社淀川製鋼所の所有となったそうです。
そして、社長公邸や独身寮(何と贅沢な!)などとして使われた後、現在は「ヨドコウ迎賓館」として一般公開されています。

1974年には国指定重要文化財に指定され、1981年に調査工事された後、1985年から1988年にかけて2億3千万円もの費用をかけて保存修理がされたそうです。

Yamamura03その旧山邑家住宅は、阪急芦屋川の駅から歩くこと約10分。芦屋川沿いの小高い岡の上にありました。

まず一言、と~ってもステキな美しい建物でした♪
細工がし易いということで選ばれた大谷石の装飾が外装だけでなく内装にも沢山使われているのですが、石材と木材とガラス、さらには畳や襖までもが大変美しく調和し、温もりの感じられる落ち着いた雰囲気の住宅建築でした。

そして隅々まで繊細なデザインと行き届いた丁寧な仕事が施されていて、ライトの才能に対しては勿論ですが施工した職人さんの手業にも感心させられました。

もし将来、私に家を建てるチャンスがやってきたら、こんなデザインの家がいいなぁ。絶対、無理だろ~な~
兎に角、どこから見ても絵になる建物だったので、かなり調子に乗って撮ってしまった写真はこちらです。

●フォト・アルバム 旧山邑家住宅(芦屋市)

残念ながら、建物の中は撮影禁止だったので、内装はこちらをどうぞ!
もし撮影可能だったらキリがなくて、逆に大変なことになってたかもしれません。

ヨドコウ迎賓館「体験ツアー」
作り付けの家具が物語るライトのインテリア観

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03 October 2007

須賀敦子さんと夙川

Syukugawa須賀さんの著書の中に、よく"夙川"という地名が登場します。

"しゅくがわ"

私にとって耳慣れない名前の町は、関西地方のどこかにあるに違いなさそうだけれど一体どの辺りにあるのか皆目見当もつかなければ、具体的に調べて確かめてみる熱心さもなく、ずっと長いこと、そのままになっていました。

うすぼんやり解っていたのは、須賀さんが父親の転勤にともなって東京の麻布へ移る前の幼少時代の数年間と、戦争中、疎開で戻っていた十代の頃の数年間を過ごした実家があるということだけ。

その"夙川"が、実は町の名前ではなく六甲山から西宮市を通って大阪湾に注ぎこむ川の名前であり、その川べりにある阪急神戸線の駅名の一つだということが解ったのは、神戸・大阪を旅行すると決め、何とはなしに地図を眺めていた時でした。

確か、須賀さんの実家は夙川駅を中心に広がるお屋敷町の一つ西宮市殿山町だったはず。
その実家を"西宮"の家とか"殿山町"の家とは呼ばずに"夙川"の家と、しばしば表現したのは、この辺りに住む人々にとって共通のものなのか、それとも須賀さんやその家族など身近な人々だけに通じるものだったのか、土地に不案内な私には、よく解らないことなのだけれど、川や駅の周辺に"夙川"と冠した学校や教会や公園があることから想像できたのは、"夙川"とは、川そのものだけでなく、その辺り一帯を指すこともありそうだということでした。

そして、何だか急に、主目的だった神戸と大阪を差し置いてでも"夙川"を訪ねてみたくて居ても立ってもいられなくなったのでした。

三宮から阪急電車にゆられること十数分、芦屋川の駅を出ると次はいよいよ夙川駅です。
そろそろ車窓から須賀さんも通っていたカトリック夙川教会の尖塔が見えるはず。
見逃してなるものかぁ〜!
あっ! あれだ!
線路際まで迫った家々やマンションの合い間に、一瞬だったけれど鋭く尖がった塔が見えた時、何を期待している訳でもないのに私の胸はドキドキと高鳴ったのでした。

Syukugawa02夙川の駅は、住宅街に位置する私鉄の駅らしい、こぢんまりと落ち着いた雰囲気でした。
ホームから夙川の流れを見ることもでき、その川岸を覆う緑豊かな並木は桜のようです。
花の季節はキレイなんだろうなぁ〜

おっ!? 駅構内に「成城石井」がある。東京のスーパーマーケットがこんなとこまで進出しちゃって〜
あ、そんなことは、どうでもいいですね。

さて、さっそく駅から町へ出て、まずは車窓から尖塔を見たカトリック夙川教会へ向かってみました。

この日も関西はメチャクチャ暑く、ふうふう言いながら見当をつけた方向に歩いて行くこと数分、突然、明るいバラ色のとても美しい教会が真っ青な空の下にすっくと現れました。

外観を見られれば、もうそれで充分と思って訪ねたのですが、よく見ると聖堂の扉が大きく開け放してあります。
旅行中訪ねた他の教会の殆どが扉を固く閉ざしていたのとは何だか対照的。思わず嬉しくなって、誰もいないシンと静まった聖堂の中へも入らせていただきました。

《十字架の道行》がステンドグラスの窓と窓の間の壁に飾られていたので、リストの《十字架の道行》を思い出しながら拝見し、お祈りにいらした方の邪魔をしないように、少しだけ写真も撮らせていただきました。

●フォト・アルバム カトリック夙川教会(西宮市)

聖堂の中で、しばらく静かな時間をすごした後、街並みを見るため少し回り道をしながら駅へ戻り、駅前のバスターミナルから阪急バスに乗って次の目的地へ向かいました。

バスは駅を出て10分くらい住宅街を走った後、樹々の茂るカーブの多い山道を更に10分ほど登ったでしょうか?
私は、たった一人、山の中のバス停に降りたちました。
目指すは「甲山墓園カトリック墓地」です。

そうなんです。
せっかく夙川まで来たんだもの。
どうしても須賀さんのお墓参りがしたかったのです。

広大な墓地の中、何のめやすもなく彷徨う訳にはいかないだろうと管理事務所に立ち寄り、管理人さんから丁寧に場所を教えていただいたお陰で、すぐに須賀さんのお墓を見つけることができました。

大きな空に抱かれた緩やかな山腹にある広々とした墓地からは、なだらかに広がる周囲の山が臨め、お父さまの豊治郎さん、お母さまの万寿さん、弟の新さんとともに眠っている須賀さんも景色を楽しんでらっしゃるのではないかなと思いました。

墓石には「アンナ・マリア 須賀敦子」と洗礼名が刻まれていました。

もし、また私に、お墓参りできるチャンスがやって来たら、春なら紫色のヒヤシンスを、秋だったら紫苑の花を墓前にたむけたいな。

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25 September 2007

神戸市立小磯記念美術館

Koiso01神戸滞在中、神戸港に浮かぶ六甲アイランド内にある神戸市立小磯記念美術館にも立ち寄ってみました。
(余談ですが、この時、乗った六甲ライナー。 車窓から海を眺めていると、突然、目の前が真っ白に! 沿線に建つ集合住宅のプライバシーを守るため、一定区間、窓ガラスが白く曇る仕組みになっているんですね。それにしても、ビックリしました)

Koiso04神戸出身の洋画家 小磯良平(1903~1988)の遺族から神戸市へ寄贈された2000点に及ぶ作品、蔵書、資料、アトリエを保存し展示する目的で作られた美術館は、ほどよい規模のシックな佇まいで、緑いっぱいの中庭には、かつて住吉山手にあった自宅&アトリエのアトリエ部分が移築されていました。

Koiso05建物の北側には高くて大きな明りとり窓が設えられていて、一目で「あ!ここがアトリエだ!」って解りますね)

アトリエ内は見学することもでき(撮影は禁止でした)小磯さんの作品に度々登場する椅子やリュートなど色々なモチーフがそのまま置かれ、書棚には大型の画集や美術書が並び、壁には新制作派協会(現 新制作協会)展のポスターやピカソやマネ(だったと思う)の複製画が貼られたままになっていました。

Koiso02また、アトリエのドアや窓枠は、前日みた旧シャープ邸(萌黄の館)に似たペールグリーンで塗られていて、明るく優しい上品な雰囲気でした。
そういえば、私の先生のアトリエも、ドアや窓枠がペールグリーンだったなぁ。偶然かなぁ?
もしかして、この色、製作中の絵の邪魔にならず、目が休まる色なのかもしれないな。

Koiso03作品展示室では「小磯良平作品選Ⅱ 油彩・素描・版画・挿絵原画展」と「コレクション企画展示 人、ヒト、Figure展」が開催されていて、ゆったりと心ゆくまで鑑賞することができました。

小磯さんの代表作は、これまでテレビ番組や画集などで見る機会も多く、竹橋の国立近代美術館では戦争画を目にしていたのですが、よくよく考えてみると、これだけ纏まった数の本物を観たのは初めてだったのでした。

今回、兵庫県立美術館と小磯記念美術館で、数多くの実物に接して気がついたことは、じっくり観るとカンヴァス地が部分的に透けて見えるくらい薄塗りで、筆跡を残しタッチを上手く生かして、量感や質感を上手く出していることでした。
そして、つくづく、厚塗りしたり、あれこれマチエールに凝ったりしないサラッとした絵なのに、すごく魅力的で存在感があるのは、ああ、やっぱり並外れたデッサン力によるところが大きいな~と思ったのでした。

また、人物画ばかりでなく、造形的な静物画も数多く観ることができ、とても勉強になりました。藝大の教員だった頃の実験的ともいえる作品も、とても興味深かったです。

それから、今まで観る機会の少なかった戦争画のための小品やスケッチも観ました。
生前、戦争画について語ることのなかった小磯さんが友人あてに送った手紙の中から戦争画に関するものが発見されたと言うニュースを旅行前に知り、「そうだろうなぁ、あんな穏やかで温かな絵を描く人が、好きで戦争画なんて描くはずないよ」って思っていたところだったので、それらを目の前にして何だか複雑な思いにとらわれました。

その書簡が、9月15日から11月18日まで、この美術館で公開されているのだそうです。期間があえば私も見たかったです。
「戦争画の在り方批判 小磯良平の書簡発見」神戸新聞ニュース

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小磯良平の書簡発見(神戸新聞より)

「戦争画の在り方批判 小磯良平の書簡発見」
2007月8月16日付 神戸新聞ニュースより転載

Koiso_letter  神戸生まれの昭和を代表する洋画家・小磯良平(1903~88年)が戦時中、「戦争画」の在り方や画壇の停滞ぶりを批判する内容の手紙を友人の画家に送っていたことが十五日までに、神戸市立小磯記念美術館の調査で明らかになった。小磯は戦中、陸軍の依頼で戦争画の大作を何点も描き評価を得たが、戦後はこれら戦中の作品について沈黙を守った。手紙は、戦時下の小磯の本音や苦悩を示す初の資料として貴重な ものといえる。(堀井正純)

 見つかったのは、岡山県へ疎開中の画家・内田巌(いわお)(1900~53年)にあてた手紙三十八通。神奈川県内の内田の遺族の元に保管されていた。
 注目されるのは、終戦前年の1944(昭和19)年12月31日付の一通。当時、画壇でも自由な表現は困難で、小磯は「戦争画も純粋芸術と称する絵も同じく多少ともに病気にかかってゐる」と画壇全体が力を失っている状況を憂慮。
 「藤田(嗣治)が戦争画をかいても猪熊(弦一郎)がかいても(中略)昔の絵と一寸も異はない(中略)これでよいのか」と、戦争画が美術界の発展に役立ってないことを指摘、批判している。また、手紙には「戦争美術のタイコをヂャンヂャンたたいても何もならない」という一文もあった。
 小磯は戦前から若手の実力派として活躍。戦中は従軍画家として四度、中国などへ赴き、作品を発表。「娘子関(じょうしかん)を征(ゆ)く」で芸術院賞を受賞するなど高く評価された。だが、戦後は戦争画については黙して語らず、画集への収録も許さなかった。
 今回、調査に当たった廣田生馬(いくま)学芸員(40)は「内田あての手紙は、小磯と戦争画、当時の美術界と戦争との関係を再考するための一級の資料。かっとうを抱えながら、過酷な時代を生きた画家の生々しい心情が伝わる」と評価。「やや遠回しな言い方だが、弾圧を受ける恐れもある中での言葉には重みがある。相手が盟友でリベラルな思想を持つ内田だからこそ書けたのでは」としている。手紙は、同市立小磯記念美術館で九月十五日から公開予定。

「戦争画」 戦時中、軍部は国民の戦意高揚のために、藤田嗣治、宮本三郎ら数多くの画家たちに戦争記録画を描かせた。このうち藤田は戦後、戦争協力の責任を問われ、日本を離れフランスへ帰化した。戦争画は長年、美術界のタブーとして語られることが少なかったが、近年、その美術的な価値や意味を再検証する動きが出ている。

【画像】発見された小磯良平の手紙など=神戸市立小磯記念美術館(撮影・藤家 武)

(注)見やすくするために、文中の年号に使われていた漢数字を、一部算用数字に変換しました。

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18 September 2007

神戸街歩き

Thomas旅行初日、大きな荷物をホテルに投げ出して、早速、街歩きへ繰り出しました。
まず三ノ宮駅へ向かい、後は気の向くまま坂道を上ったり下ったり。
初めての街なのに迷子にならなかったのは、北に六甲山、南に神戸港を、いつも感じていられたからかも。

そして「風見鶏の館」という名で親しまれている旧トーマス邸や旧シャープ邸(萌黄の館)など異人館を訪ね、室内も撮影してみました。

●フォト・アルバム 神戸北野異人館

Sharpそれにしても暑かったです〜
東京を出発する前に、ヴォーリズをはじめとする訪ねたい建物を沢山リストアップしたのに、もうそれどころじゃありませんでした。
あんまり暑くて「うろこの家」ですら行くのを忘れちゃったくらいですから。

そんな訳で、結局、行き当たりばったりになってしまったのですが、街には歴史的建物ばかりでなく、新しくて面白い建物も溢れていて、もう見きれな〜い。
とても楽しい街歩きができました。

その中のほんの一部ですが、こちらもフォト・アルバムにしてみました。

●フォト・アルバム 神戸街歩き

今回だいぶ土地勘がついたので、また、ゆっくり散歩したい♪

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12 September 2007

ジョン・ケージ《変化と消滅》より「No.10」

John_cage01ジョン・ケージ?
ふ〜ん、版画家にも、ジョン・ケージって名前の人がいるんだ? へぇ、知らなかったなぁ。
間の取り方や線のちりばめ方が面白い不思議な作品だな。

なになに?
この一枚の作品を制作するため、別の図面やチャートがあるの?

どれどれ・・・
へぇ、随分と緻密で理屈っぽい人ねぇ〜

ありゃりゃ〜
ジョン・ケージって、やっぱり、あのジョン・ケージ?

John_cage02そう! この作品、正真正銘あの作曲家ジョン・ケージのものだったんです!
そう言われてみると、プリペアド・ピアノの音が聴こえてきそうではありませんか?

      ◇  ◇  ◇

John_cage03思いがけない場所でのジョン・ケージとの出会い、それは、兵庫県立美術館 − 芸術の館の薄暗い版画展示室の中ででした。

彼の版画は、シャガール、ミロ、アンソールなど数多くの版画作品が壁にかけられた、わりあい大きな展示室の中央に置かれたガラスケースの中で、他の作品群とは全く違う雰囲気を漂よわせていました。

John_cage04現在、この美術館にはジョン・ケージの作品が35点所蔵されているそうで、これからもコレクションが増えていったらいいですね。

展示室は照明がかなり落としてある上に、どうしても天井の照明がガラスに映りこんでしまい上手く撮れなかったけど、めったにない機会を逃したくなくて何とかカメラに収めてきました。

   ◇  ◇  ◇

ところで、兵庫県立美術館 − 芸術の館は、前身の兵庫県立近代美術館のコレクションを引き継ぎ、2002年4月に開館したばかりの新しい美術館だそうで、安藤忠雄さんが設計を手がけられた建物は巨大でした。

神戸港に面した側の大階段と大きな庇は、とても印象的で、城砦のようなゴツゴツした壁面も、なかなかの迫力です。
一方、内部は打ちっぱなしのコンクリート壁の仕上がりが、すべすべと美しく、あちこち見てまわっているだけで、どんどん時間が経ってしまいそうでした。

表参道ヒルズや東京ミッドタウンなど最近の他の安藤さんの作品に比べると、とてもシンプルでストイックな印象すら感じられ、ゆったりと作品を展示し鑑賞できる空間、更にはそれら美術作品を安全に収蔵保管する空間としての機能を、とても大切にしているのだろうなと思いました。

それから、この美術館、前述のとおり展示作品の撮影が許可されているんですよ♪
思わずヨーロッパの美術館みたい!と嬉しくなって、小磯良平記念室金山平三記念室でも撮影させていただきました。

それにしたって、1989年から継続的に、彫刻作品など手で触って鑑賞する企画が行われていたり、作品の撮影が許可されていたり、兵庫県立美術館の学芸員さん、なかなかやりますね〜♪
しかも、ジョン・ケージの作品まで積極的にコレクションしているなんて、ほんと素晴らしい美術館です。
すごく気にいっちゃいました。

●フォト・アルバム 兵庫県立美術館 − 芸術の館

【画像】上から

ジョン・ケージ
《変化と消滅》より「No.10」
1979ー82年
エングレーヴィング、ドライポイント、フォトエッチング・紙
29×54.3cm

《『変化と消滅』No.10のための制作図面 チャート》
1979ー82年
鉛筆・水彩紙
29×66.1cm

《『変化と消滅』No.10のための制作図面 Run2》
1979ー82年
鉛筆・トレーシングベーパー
48×60.7cm

《『変化と消滅』No.10のための制作図面 Run4》
1979ー82年
鉛筆・トレーシングベーパー
48×60.8cm

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10 September 2007

はじめての神戸♪

Kobe01先日、ちょっと遅めの夏休みをとり、阪神間を旅してきました。
生まれて初めて訪ねた神戸・大阪など関西の街々は、予想していた以上に快適で楽しく、見所もいっぱい。
帰宅して早々「また行きたい!」って思ったほどでした。

実は私・・・
正直に告白すると・・・

Kobe02関西では電車に乗るのに列を作らない上に割り込みも当たり前らしいし・・・
おねえさんたちはギラギラ派手そうだし・・・
おばさんたちは図々しくて怖そうだし・・・

ビクビク! ドキドキ!

そうなんです、あまり良い印象を持っていなかったのです。
でも、それらは全て杞憂でした。
やっぱり、実際に自分の身体と心で感じてみなくちゃ解らないものですね。長いこと勝手な思い込みをしていた自分に反省もしたのでした。

Kobe03さて、写真は宿泊したホテルの部屋からの眺めです。
須賀敦子さんが1953年初めてのヨーロッパ留学へと旅立った神戸港と、六甲の山並みが一望でき、ちょっぴり感動。
そして、夜になると、その六甲山の山腹に神戸市のマークと錨のマークが灯る、オシャレな演出もされてました。(光が弱く私のカメラでは捉えられず、残念)

という訳で「大阪~神戸」超初心者の旅は始まったのでした。

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