須賀さんの著書の中に、よく"夙川"という地名が登場します。
"しゅくがわ"
私にとって耳慣れない名前の町は、関西地方のどこかにあるに違いなさそうだけれど一体どの辺りにあるのか皆目見当もつかなければ、具体的に調べて確かめてみる熱心さもなく、ずっと長いこと、そのままになっていました。
うすぼんやり解っていたのは、須賀さんが父親の転勤にともなって東京の麻布へ移る前の幼少時代の数年間と、戦争中、疎開で戻っていた十代の頃の数年間を過ごした実家があるということだけ。
その"夙川"が、実は町の名前ではなく六甲山から西宮市を通って大阪湾に注ぎこむ川の名前であり、その川べりにある阪急神戸線の駅名の一つだということが解ったのは、神戸・大阪を旅行すると決め、何とはなしに地図を眺めていた時でした。
確か、須賀さんの実家は夙川駅を中心に広がるお屋敷町の一つ西宮市殿山町だったはず。
その実家を"西宮"の家とか"殿山町"の家とは呼ばずに"夙川"の家と、しばしば表現したのは、この辺りに住む人々にとって共通のものなのか、それとも須賀さんやその家族など身近な人々だけに通じるものだったのか、土地に不案内な私には、よく解らないことなのだけれど、川や駅の周辺に"夙川"と冠した学校や教会や公園があることから想像できたのは、"夙川"とは、川そのものだけでなく、その辺り一帯を指すこともありそうだということでした。
そして、何だか急に、主目的だった神戸と大阪を差し置いてでも"夙川"を訪ねてみたくて居ても立ってもいられなくなったのでした。
三宮から阪急電車にゆられること十数分、芦屋川の駅を出ると次はいよいよ夙川駅です。
そろそろ車窓から須賀さんも通っていたカトリック夙川教会の尖塔が見えるはず。
見逃してなるものかぁ〜!
あっ! あれだ!
線路際まで迫った家々やマンションの合い間に、一瞬だったけれど鋭く尖がった塔が見えた時、何を期待している訳でもないのに私の胸はドキドキと高鳴ったのでした。
夙川の駅は、住宅街に位置する私鉄の駅らしい、こぢんまりと落ち着いた雰囲気でした。
ホームから夙川の流れを見ることもでき、その川岸を覆う緑豊かな並木は桜のようです。
花の季節はキレイなんだろうなぁ〜
おっ!? 駅構内に「成城石井」がある。東京のスーパーマーケットがこんなとこまで進出しちゃって〜
あ、そんなことは、どうでもいいですね。
さて、さっそく駅から町へ出て、まずは車窓から尖塔を見たカトリック夙川教会へ向かってみました。
この日も関西はメチャクチャ暑く、ふうふう言いながら見当をつけた方向に歩いて行くこと数分、突然、明るいバラ色のとても美しい教会が真っ青な空の下にすっくと現れました。
外観を見られれば、もうそれで充分と思って訪ねたのですが、よく見ると聖堂の扉が大きく開け放してあります。
旅行中訪ねた他の教会の殆どが扉を固く閉ざしていたのとは何だか対照的。思わず嬉しくなって、誰もいないシンと静まった聖堂の中へも入らせていただきました。
《十字架の道行》がステンドグラスの窓と窓の間の壁に飾られていたので、リストの《十字架の道行》を思い出しながら拝見し、お祈りにいらした方の邪魔をしないように、少しだけ写真も撮らせていただきました。
●フォト・アルバム カトリック夙川教会(西宮市)
聖堂の中で、しばらく静かな時間をすごした後、街並みを見るため少し回り道をしながら駅へ戻り、駅前のバスターミナルから阪急バスに乗って次の目的地へ向かいました。
バスは駅を出て10分くらい住宅街を走った後、樹々の茂るカーブの多い山道を更に10分ほど登ったでしょうか?
私は、たった一人、山の中のバス停に降りたちました。
目指すは「甲山墓園カトリック墓地」です。
そうなんです。
せっかく夙川まで来たんだもの。
どうしても須賀さんのお墓参りがしたかったのです。
広大な墓地の中、何のめやすもなく彷徨う訳にはいかないだろうと管理事務所に立ち寄り、管理人さんから丁寧に場所を教えていただいたお陰で、すぐに須賀さんのお墓を見つけることができました。
大きな空に抱かれた緩やかな山腹にある広々とした墓地からは、なだらかに広がる周囲の山が臨め、お父さまの豊治郎さん、お母さまの万寿さん、弟の新さんとともに眠っている須賀さんも景色を楽しんでらっしゃるのではないかなと思いました。
墓石には「アンナ・マリア 須賀敦子」と洗礼名が刻まれていました。
もし、また私に、お墓参りできるチャンスがやって来たら、春なら紫色のヒヤシンスを、秋だったら紫苑の花を墓前にたむけたいな。