ロイヤル・オペラ・ハウス・マルタ跡(3)
ナチス・ドイツ軍からの砲撃で崩れたロイヤル・オペラ・ハウス・マルタは、その後、建替え案も浮上したようですがメモリアルとして残されることになりました。
・・・が、ちょうど自動車社会がマルタにも到来、要塞に囲まれ、無駄なく合理的に計画されたヴァレッタの街には自動車を受け入れるスペースがほとんどありませんでした。
一番上の写真は1951年当時のロイヤル・オペラ・ハウス脇の広場の様子です。自動車がびっしり駐車されていますね。
そこで斬新なアイディア(?)ということでオペラ・ハウス跡が駐車場として使われるようになりました。その際、上部の部材が取り払われ、建物の側面の壁も一部、撤去されてしまったようです。
う~ん、メモリアルとか言いながら、かなりの現実主義ですね~(^^;
そして、ももんがさんがマルタを訪問された1991年までは、少なくとも駐車場として使われていたようですね。
そしてそして、今回、私も興味津々、壁の穴ぼこから中を覗いてみました。
すると!
中には舞台と観客席が設置されているではありませんか!?
「わぁ~ 野外劇場になってるぅ!そうだよね~ うんうん、そうこなくっちゃ!」
なんだか嬉しくなって、入り口に置かれていた柵のすきまから中へ、ちょっとお邪魔させていただいちゃいました。(^^; 不法侵入!
特に催しの準備がされていた訳でも、周辺にポスターが貼ってある訳でもなかったので、どんなものが上演されるのかわかりませんでしたが、ここで色んなジャンルの野外コンサートやオペラが上演されたらステキだなぁ♪
また、オペラ・ハウス正面に並んでいたアーチ型の入り口を利用して、アクセサリーショップや雑貨屋さんが軒を連ねていました。(^^)
第2次大戦後、東西対立の冷戦構造は定着し、地中海は西側諸国、ソ連・東欧圏、アラブ・パレスチナ地域、アフリカなど世界の諸勢力がひしめく最大の危険区域となりました。このような緊迫した国際状況のもと、マルタは英陸空海軍の要塞として使われました。
さらに1949年にはNATO(北大西洋条約機構)が結成され、NATO海軍の地中海総指令部がマルタにおかれていたそうです。
しかし、何度も繰り返しになりますが、1974年マルタはイギリスから独立し共和国となり、1979年には外国の軍隊を全て撤退させたそうです。
でも、今また、ちょっと心配なことがあります。
2003年、マルタはEUに正式加盟したので、この地域に紛争や戦争が勃発しEU緊急軍でも提示されたら「我国には海軍も空軍もありませんから〜」では済まされないのではないかということです。
EUへの協力という名のもと、再び、マルタの要塞や旧イギリス軍の施設が軍事目的で使われることが、どうか、ありませんように。
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