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22 March 2006

須賀敦子「ヒヤシンスの記憶」

Hyacinthus今年もヒヤシンスが咲き始めました。

ヒヤシンスの甘く透きとおった香りが、私は好きです。
摘んできてコップに挿すと、ふわ~っと部屋中が春になります。

そして、その香りをかぐと思い出すのが、須賀敦子さんの『トリエステの坂道』に収録されているエッセイ「ヒヤシンスの記憶」の中のヴィルジリオ・ジョッティ(1885-1957)の詩 《ヒヤシンス》。

白と薄むらさきの二本の
ヒヤシンス、さっき
ぼくにくれながら、ちょっと
笑ってた、きみに似ている。
蒼い顔して、白い歯をみせ、
しっかりとぼくにさしだしながら。
いま、コップのなかで蒼ざめて咲く
花たち、色あせた壁を背に、
窓からはいって、すりへった石の上を
よこぎっていく日のひかりのとなりで。
すべてのなかで燦めいているのはあの
蒼ざめた薄むらさきだけ。夜あけが
残した、ひとつの炎。
よい匂いが、家にあふれる。
まるで、ぼくたちの愛のようで、
それ自身は、ほんとうになんでもなく、
ただ蒼いという、それだけだが。燦めく蒼さで、
燃える蒼さで、希望とおなじ、いい匂いで。
ふと、気づくと、胸いっぱいにひろがる、
その匂い。ぼくの家が、きみの家で、
きみとぼくとが、テーブルに
クロスをいっしょにひろげ、
ぼくたちが準備しているのを
ちっちゃな足で、背のびして
のぞく、だれかさんが、いて。
(須賀敦子訳)

私のイタリア語力では、その違いが全く解らないのだけれど、イタリアには、とても沢山の方言や訛りがあるそうで、トリエステ生まれのジョッティは、この詩をトリエステの言葉を使い、もの静かな口調で書いているのだそうです。

確かに、この詩からは愛の喜びや幸せが沢山あふれ出ているのだけれど、どことなく控えめで、ちょっとくぐもったような雰囲気や、まだそんなに強くはない春の柔らかな朝の光や、ペールトーンの部屋の色や匂いが感じられるのです。
そして、なぜだかホッと落ち着けるのは、きっと須賀さんがジョッティの言葉を見事に日本語に置き換えてくださっているからなのでしょうね。

ところで、前述のとおり、イタリアには数多くの方言があるそうですが、それらは、それぞれの都市の歴史と文化の伝統が洗練を重ねてきた過程で、それぞれの「国語」に近い感覚を持つようになって行ったのだそうです。
イタリアの都市って、街並みばかりでなく、言葉もちゃんと大切に守っているのですね。

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